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2011年4月30日土曜日

第11回口頭弁論(4/7) 本人尋問を終わって

「嘘」が「嘘」を証明した。

 3月17日、東京地方裁判所527法廷で第9回目の裁判
(口頭弁論)が行われました。
 被告(東京都教育委員会)側の証人として加藤学務部課長
(当時)が「米長氏を原告(土肥)が批判したという情報は、
1回目の指導と2回目の指導の間に入手した」と発言した時、
私は「ふざけるな。1回目から米長氏の件で指導を受けたぞ。
そんな嘘をつくな」と心の中で叫びました。

 私は現職中に様々な言論弾圧を都教委(東京都教育委員会)
から受け、最終的には非常勤教員不合格という報復措置を受け
ました。現職中に何度も都教委に対して「言論の自由」の問題で
公開討論を申し込みましたが、全て断られたため、裁判という
公の場で公開討論を行いたいと思い、都教委を提訴したのです。

(現職中の私に対する言論弾圧と裁判の内容につきましては、
それは、密告からはじまった」(七つ森書館)に詳しく書いて
ありますので是非お読み下さい)

 裁判の中で最も許せなかったのが、当時教育委員であった
米長氏を私が批判したことを都教委に密告され、指導された
内容が、私の主張と都教委の主張が全く違っていたことでした。

密告により、指導されたのは3回(2006年10月6日、23日、
25日)で、25日には米長氏が三鷹高校に視察に来ることを
告げられたのです。
 一方、都教委は、指導したのは2回(10月6日、24日)で、
米長氏が三鷹高校に視察に行くという指導はしていないと
主張したのです。しかも都教委は24日(本来23日)の日付を
書いた指導内容を記録したメモを、都教委側の証拠として提出
していたのです。恐らく米長氏の三鷹高校視察の件は、全く
なかったことにしたかったのだと思います。
 私にとって米長氏の三鷹高校視察の件は、私の言論を封じる
ための脅迫そのものであると感じましたし、このことが都教委の
横暴を社会に訴えようと私が決意した原因だったのです。
(理由はわかりませんが、米長氏は結局三鷹高校へは来ませ
んでした)
 米長氏を批判したのは理由がありました。皆さんもご存じだと
思いますが、2004年10月、天皇の園遊会に呼ばれた米長氏
は、天皇にお褒めの言葉をもらおうと思い、「日本中の学校で
国旗を掲げ、国歌を斉唱させることが私の仕事です」と話しかけ
たところ、逆に天皇に「やはり、強制になるということではない
ことが望ましい」と諌められました。自分の尊敬する人から
諌められたら、「申し訳ありません。今後は強制しないように
していきます」と答えるのが当たり前です。しかし都教委の
国旗・国歌の指導は、それ以後も天皇の意思に反して、ます
ます強制の度合いを強めていったのです。だからこそ私は
米長氏を批判したのであり、それが密告されたのです。
 
 そして1回目(10月6日)の時から、米長さんを批判したことを
都教委から強く指導(私への言論弾圧)されたのです。そのこと
は私の手帳にも明記されています。だからこそ加藤氏が発言し
た時、嘘をつくなと心の中で叫んだのです。
 この加藤氏の嘘は絶対に許せませんでした。この思いが、
ジャーナリストの池添徳明氏を思い出させたのです。
池添氏は、私が三鷹高校に赴任した2005年4月から私を取材
していたのです。もしかすると池添氏に密告の件を話している
かもしれないと思い、すぐに連絡をしました。
すると、池添氏の取材ノートに、私の主張とまったく一致する
記録が残っていました。
10月23日(2回目)、土肥氏が都教委に指導を受けた帰りに
横浜の喫茶店で待ち合わせ、10月6日と23日の指導の内容
について取材した。1回目も2回目も米長氏の件は指導された。
25日(3回目)には午後8時頃土肥氏から電話があり、米長氏
が近々三鷹高校に視察に来ることを告げられた」。
都教委の主張がすべて捏造されたことが明らかになったのです。

 第11回口頭弁論(4月7日)での私への主尋問で、池添氏の
取材ノートに記録されていた事実を述べ、都教委の事実の捏造を
明らかにしました。また、24日の日付の書いてある指導メモは、
都教委が日付を捏造した文書であり、まさに公文書偽造の罪に
問われるのではないかと思いました。加藤氏の「嘘」がなければ
池添氏を思い出すことはなく、まさしく加藤氏の「嘘」が、都教委の
「嘘」を証明してくれたのです。

 今回の裁判は、事実に基づいてお互いの主張をぶつけ合い、
どちらが正しいかを判断してもらおうと思っていました。
しかし都教委はその事実さえ捏造したのです。
都教委の行為は絶対に許されるものではないと思うとともに、
これが私の提訴し、裁判の場で正々堂々と論争しようと思って
いた都教委かと思うと情けなくなりました。

土肥 信雄