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2011年8月13日土曜日

講演日記(23) - @広島市

2011年7月30日(土) 広島市
場所: RCC文化センター  

 私は今まで不思議なことに広島の原爆ドームと資料館には一度も言ったことがありませんでした。何回も修学旅行に引率していますが、広島修学旅行の引率は一度もなかったのです。昨年(2010年)8月に講演の依頼を受けた時、この機会に原爆ドームに是非行ってみようと思いました。
 
 そして3月11日に東日本大震災が発生し福島原子力発電所があのような事態になりました。私は政治経済の教員として、「原爆と原発は同じで常に放射能の危険を伴う」と生徒に教えてきました。「原発は絶対安全」と説明して原発を推進してきた人たちに対し、「それは嘘だ、絶対に安全ということはない。消費するのは東京都民なのだから、絶対安全というなら東京都心に原発を建設すればいいじゃないか。」と思っていました。東京の都心に原発を建設しないのは「原発が危険である」という証拠なのです。「原発は絶対安全だ」と言っていた人達には被災地に行って土下座して謝罪してもらい、全ての財産を復興のために投げ出し、被災者と同じ生活をしてもらいたいと思います。安穏とした生活をしていたら許せません。
 
講演会には会場一杯になるほどの参加者があり、皆さん真剣に聞いてもらいました。
そして嬉しかったのは参加者の中に、三鷹高校で一緒に働いていたO先生が参加して下さったことでした。(2009年3月に私と一緒に退職され、故郷の広島市に帰っておられました)O先生は現職中から私を支援して下さり、裁判においても証人として陳述書を書いて下さったのです。
午後の分科会の「職場の民主化」に出席してわかったことですが、広島の現状は管理が強化され、校長は全ての事で教委にお伺いを立て、校長の恣意的で独裁的な学校運営が広がり、職員会議さえ持てない状況の学校も多くなっているとのことでした。だからこそ「言論の自由」に対して、とても関心があり真剣に聞いて下さったのだと思います。私は「教員の言論の自由」がなくなれば、「生徒の言論の自由」もなくなり、それは生徒のためにならないと思っています。そのことは戦前の日本の教育が証明しています。全国のほとんどの学校が「生徒の主体性を育てる」、「生徒の自主性を育てる」を教育目標にしています。生徒の言論の自由がなくなることは、生徒の主体性、自主性を育てることを不可能にするのです。だからこそ東京の状況を変えたいと思い裁判に訴えたのです。しかし全国で講演をして、教育委員会による学校の管理強化は東京だけでなく、全国に広がっている状況であることが分かりました。教育委員会の独裁(校長は教委の言いなりですから)を防ぐためにも、私の裁判を勝利しなければならないとますますファイトが湧いてきました。広島の皆さん、楽しく講演させていただきありがとうございました。今後とも私の裁判の応援よろしくお願いします。
 
翌日はO先生の案内で、宮島と原爆ドームに行ってきました。原爆ドーム、原爆資料館を見て再度戦争を起こしてはならないと決意し、ユネスコ憲章にある「戦争は人の心の中で生まれるものであるから、人の心の中に平和の砦を築かなければならない」の言葉を思い出しました。平和は人類最高の文化であり、人の心の中に平和の砦を育てるのが教育なのです。


◎参加者の感想

● 講師の先生の話はわかりやすく、大変元気が出ました。何らかのかたちで、参加できなかった分会員にも伝えたいと思います。
● とっても元気が出るお話でした。ただ、今後どう取り組んでいくかは、やはりしんどいことだなと感じています。
● こんな校長さんもおられるんですね。一緒に働いてみたかった。とてもよかったです。もっとみんなにきいてもらいたいと思いました。
● 土肥校長のエネルギッシュな姿に元気をもらえました。
● 非常に元気づけられる講演内容でした。一人から始まる勇気を学ぶことが出来た。
● 講演もよかったです。
● 腹の底から笑わせてもらいました。
● 講演はとても勉強になりました。元気が出ました。
● 講演は講師がエネルギッシュなこともあり、広島が受けてきた攻撃と現状と考え合わせ、とってもよかったです。
● 涙が出ました。教師として「生徒が宝」を最後まで通して定年が迎えられるのだろうか、と不安な気持ちに感動の風が吹きました。闘いのために仲間が必要です。私も人とつながりながら頑張っていきたいと強く感じました。
● まずは、「こんな校長もいるのか!」というのが、まず1番強く残った印象です。子どもや現場の教員に向き合う校長がいたんだということが、感動です。今まで出会った校長にそんな人はいなかったし、こんな人間性の人が校長、いえ暴君として君臨しているのかと怒りとあきらめが大きくなっていたので。私たちは組合として組織で闘っているけど、土肥さんは一人(支える人たちはたくさんいるけれど)で巨大な権力と闘っている!忘れかけていた強い思いをゆさぶられた講演でした。ありがとうございました。
● 広島県の職員会議に関する記述から「民主的」ということばが消された時の腹立たしさ・怒り・煮えくりかえるような思いを思い出しました。怒りとともに日々を過ごしていると、怒りに身を焼かれて自分の身が危ういと、怒りを静めました。「私は県教委のために教育活動をしているのではない。県教委の指示とは別のところで自分の教育活動をするのだ」と考えることによって怒りを静めましたが、いつしか怒りを忘れて、楽に生きていたんだと思いました。怒るべきことを忘れてはいけないと気持ちをあらたにしました。
● 元校長を呼んだことの説明が十分でなかった。「来る」のは相手の事情、「呼ぶ」理由は「門長さんに聞いた」ということと、広島の校長なら話せない、というくらいで説明になってないのではないかと思った。案内でもそう思ってが、実際に聞いても、じゃあ教職員はどうだったの?という?が残ったし、その人たちの話こそ聞くべきではないかと思った。
● 気分がスッキリした。自分も意見をきちんと言おう!!考えることのできる生徒になるよう何ができるか考えようと思う。月曜日から元気を出して学校に行けると思いました。

2011年7月10日日曜日

第12回口頭弁論の報告(2011年7月7日 七夕の日)

 7月7日午前10時より東京地裁522法廷で開かれました。
今回も大勢の傍聴者が来て下さり、開廷約30分前に、傍聴席(定員42名)が満員となり、最終的には70名~80名の方が来て下さったため、法廷に入れない人が大勢いらっしゃいました。法廷に入れなかった皆様大変申し訳ありませんでした。しかし傍聴席を満員にすることは裁判官の心証にも影響しますので、今回に懲りずに次回もよろしくお願いします。もちろん報告集会には傍聴できなかった人も参加してくださいました。
今回結審し、いよいよ判決日が申し渡されるものと緊張して迎えましたが、なんと前日になって、裁判所より「明日が結審ではなく、もう一回口頭弁論がある予定」との情報がもたらされ、拍子ぬけした面もありますが、最初に予定通り原告元三鷹高校校長土肥信雄氏より下記の意見陳述が行われました。


= 第12回口頭弁論 意見陳述 =

 2年前の2009年(平成21年)6月4日、私は東京都教育委員会(都教委)を提訴しました。今、提訴して本当に良かったと思っています。もし提訴しなければ、現職中の私に対する言論弾圧や非常勤教員不合格について、すべて闇の中に葬り去られるところでした。裁判を通して、とにかく都教委の主張を全部聞けたことは、お互いの主張が全て公になり、どちらが正しいかを判断してもらえる材料が出そろったからです。
 私は大学で学生たちを教えています。言論の自由の問題について、学生たちに「天皇は神様だと思いますか?人間だと思いますか?」という質問をしたところ、「神様だ」と答える学生は皆無でした。しかし戦前においては100%の学生が「神様だ」と答えました。それは、教育の現場で言論の自由がなく、「天皇は神様だ」と教えこまれたからです。このようなことが積み重なった結果として第二次世界大戦という悲惨な結果を迎えたことは、日本国民自身が十分に自覚していると思います。だからこそ「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることの無いようにすることを決意し」、国民主権、基本的人権の尊重、平和主義を基本理念とした日本国憲法を制定したのです。戦前においても戦争に反対する人は多くいたと思います。しかしそれを発言するためには、命を賭けなければなりませんでした。私は、子ども達に、戦前のような暗黒の社会を再び経験させないためにも、教育の現場において言論の自由だけは絶対に譲ることはできません。発言することに命を賭ける必要のない現代において、「あの時言っておけば良かった」という後悔だけはしたくなかったのです。
一人ひとりの意見を尊重する民主主義にとって、言論の自由は不可欠です。私は、私と100%意見が違っている人でも、その人の言論の自由は100%保障したいと思います。そして自由な発言を通して決まったことについては、自分の意に反していても、それに従うことが民主主義を守るために必要だと思っています。だからこそ私は「法令遵守」を私の信条とし、現職中においても全ての法令は守ってきました。職員会議で教職員の意向を聞く挙手・採決も三鷹高校ではやっていません。卒業式等でも職務命令は出しました。国旗国歌問題についても、校長として不起立者を報告しました。私は民主主義のルールに基づいて、都教委に対して意見表明をしただけです。
都教委は、その民主主義の前提である言論の自由を教育の現場から奪おうとしたため、私は説明を求めて何回も公開討論を要求したのです。しかし都教委は、私の納得する説明もせずに公開討論を拒み続けたため、提訴せざるを得なかったのです。
事実は一つです。裁判の中では、その事実に基づいて、お互いの主張をぶつけ合い、論争ができるとばかり思っていました。しかし都教委はその事実さえも捏造し、私を抹殺しようとしたことが、裁判を通してはっきりと証明されたのです。特に都教委側の証人尋問の証言において、許されないような事実が判明し、これが教育に携わる人間が行う行為かと思うと本当に情けなくなるとともに、このようなことを許してはならないと思いました。特に許せなかったのが下記の4点です。
① 私が米長氏を批判したことを密告され、3回指導を受け、(2006年10月6日、23日、25日)3回目には米長氏が近々三鷹高校に視察に行くことを告げられました。その事実はジャーナリストの池添徳明(いけぞえのりあき)氏の取材ノートに明記されていたのです。しかし都教委は、指導の記録の日付(24日)まで捏造して、指導は2回(6日、24日)であり、米長氏の三鷹高校視察の件は一切指導していないと主張しているのです。
② 20年度、非常勤教員採用選考推薦書兼業績評価書のオール「C」は私一人であったと、当時の人事部選考課長は証言しました。(790人受験中最低の790番目の成績)私の退職にあたって、卒業生から退職の卒業証書をもらい、卒業生全員と保護者から色紙をもらった私が、なぜ最低の成績なのでしょうか。どうしても納得ができません。
③ 20年度、非常勤教員採用選考推薦書業績評価書の作成の過程で、私の教育現場(三鷹高校)での、教育実績については一切評価の対象にしていないと当時の人事部職員課長が証言しました。信じられません。校長を評価する対象は、当然学校現場での教育実績だと思います。三鷹高校で、補習体制を組織し、挨拶を励行させ、中途退学者を減少させ、体罰の禁止を教員に指導した私の教育実績が全く評価されないのは、評価そのものが間違っていると思います
④ 非常勤教員採用選考の面接で、私は面接者の質問に全く正対しない回答をしたので、低い評価となったと面接官の指導主事が証言しました。私は面接の内容が書かれた都教委側の証人の陳述書を読みました。私が読んでも、私が全く質問に正対していない回答が列記されており、私がこのような回答をするわけがないと驚きました。私は常に、質問に正対した回答をするように生徒に教えてきましたし、私自身も質問に正対する回答を心掛けてきました。生徒や保護者の陳述書を読んでいただければ、それはわかると思います。その私がなぜ正対しない回答になったのか。それは質問を捏造し、私の回答を捏造したからです。私の意見と違う回答が随所に書いてありました。
 その他、この裁判で争っている生徒の掲示物問題、業績評価における相対評価の強要、卒業式等における個別的職務命令の強要、定時制発表会の発表者の交代問題等、全ての問題で都教委の主張と私の主張は全く違っています。私も都教委も、学校を活性化し、特色ある学校づくりをして、子どもたちが生き生きとした学校生活が送れるように望んでいるはずです。だからこそ、校長の権限と責任を強化し、校長のリーダーシップを確立させることを文部科学省ですら主張しているのです。しかし都教委はその校長の権限ですら侵害し、都教委による教育支配を意図しているのです。
民主主義国家であり、法治国家である日本の最高法規は日本国憲法であり、日本国憲法第21条には「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由はこれを保障する」、また教育基本法第16条には「教育は、不当な支配に服することなく、この法律及び他の法律の定めるところにより行われる」と明記されています。私の主張と都教委の主張を十分に吟味、比較して、日本国憲法及び教育基本法の理念に基づく、公正な判断をして下さるようにお願い申し上げます。
2011年(平成23年)7月7日 
        原告 元東京都立三鷹高等学校 校長 土肥信雄

    ============================

 土肥氏の意見陳述後、裁判長よりもう一度口頭弁論を開くことが
告げられ、8月25日(木)午前10時、527法廷で開かれることが
決定し、再度土肥氏の意見陳述を行うことも認められ閉廷となりました。


= 裁判報告集会 =

 裁判終了後、弁護士会館で裁判報告集会がもたれました。
最初に吉峯弁護士より、「教育がはたして憲法に依拠して行われているのか。条例や職務命令で、心の問題を強要するような現在の教育の状況は民主主義の危機でもある。その意味で土肥氏の裁判は非常に重要であり、この裁判に関心を持ち、支援することは歴史的にも意味がある。今日もこれだけ大勢の支援者が駆けつけて下さる事に感謝しており、今後とも皆さんの支援をお願いしたい。」との発言がありました。続いて高橋弁護士からは結審が裁判所の都合で延びたことと、判決は年内ぎりぎりか年明けとなる可能性が高いことが報告されました。土肥氏からは「今日で結審すると思っていたので、少し残念だが、8月25日にも意見陳述をさせてくれるので、発言する機会が増えて良かったと前向きに考えていきたい。きっとどっちが勝っても控訴することになり、時間が経てば経つほど、この裁判に関心を持ってくれる人は増えて行き、それだけ都教委は醜態をさらすことになるので私にとって有利になると思っている。」との発言がありました。参加者より「判決の日は記者会見をするのか」、「全国的に署名を集めたらどうか」「外国人記者クラブで記者会見をしたらどうか」等の質問があり、土肥氏は「判決の日には記者会見を必ず行う。」「全国的な署名や外国人記者クラブの記者会見については事務局で検討する。」との回答がありました。
 最後に立正大学の浪本教授が「土肥氏の提起した裁判は、日本の教育界に〈言論の自由〉、ひいては教育の自由が保障され、各学校が本来の教育的使命を達成できるようになるか、あるいは強権的な教育行政によってさらに各学校が委縮していくことになるのか、の大きな岐路に立つ裁判である」と発言して下さり報告会を終了した。

次回最終口頭弁論 8月25日(木)午前10時 527法廷

*この日に恐らく結審となりますので判決日が決定します。
*土肥先生が再度意見陳述(新しい内容)をします。
*傍聴席を満員にして裁判官の心証を良くしたいと思いますのでよろしくお願いします。

2011年6月11日土曜日

最終口頭弁論は7月7日

「学校に言論の自由を!」裁判

第12回最終口頭弁論は 、
7月7日 七夕の日です!!


今回で結審、判決日が決定します。是非裁判の傍聴に駆けつけて下さい
********************************************************************************

今回は約2年間の裁判を通して、東京都教育委員会の非常識に対する怒りの思いを、本人(土肥)が陳述します。

日時●7月7日(木)午前10時~

★傍聴席の定員は42名です。開始時間間際ですと入れません。
できれば、30分前位には、お越しください。

場所 ●東京地方裁判所522号法廷
              (527から522法廷に変りました。)

★裁判終了後、報告会を行います。
場所 ●弁護士会館 5階 「508ABC」
             ぜひこちらにもご参加ください。

連絡先●090-5642-6304(高本)090-2780-7728(平山)

2011年4月30日土曜日

第11回口頭弁論(4/7) 本人尋問を終わって

「嘘」が「嘘」を証明した。

 3月17日、東京地方裁判所527法廷で第9回目の裁判
(口頭弁論)が行われました。
 被告(東京都教育委員会)側の証人として加藤学務部課長
(当時)が「米長氏を原告(土肥)が批判したという情報は、
1回目の指導と2回目の指導の間に入手した」と発言した時、
私は「ふざけるな。1回目から米長氏の件で指導を受けたぞ。
そんな嘘をつくな」と心の中で叫びました。

 私は現職中に様々な言論弾圧を都教委(東京都教育委員会)
から受け、最終的には非常勤教員不合格という報復措置を受け
ました。現職中に何度も都教委に対して「言論の自由」の問題で
公開討論を申し込みましたが、全て断られたため、裁判という
公の場で公開討論を行いたいと思い、都教委を提訴したのです。

(現職中の私に対する言論弾圧と裁判の内容につきましては、
「それは、密告からはじまった」(七つ森書館)に詳しく書いて
ありますので是非お読み下さい)

 裁判の中で最も許せなかったのが、当時教育委員であった
米長氏を私が批判したことを都教委に密告され、指導された
内容が、私の主張と都教委の主張が全く違っていたことでした。

密告により、指導されたのは3回(2006年10月6日、23日、
25日)で、25日には米長氏が三鷹高校に視察に来ることを
告げられたのです。
 一方、都教委は、指導したのは2回(10月6日、24日)で、
米長氏が三鷹高校に視察に行くという指導はしていないと
主張したのです。しかも都教委は24日(本来23日)の日付を
書いた指導内容を記録したメモを、都教委側の証拠として提出
していたのです。恐らく米長氏の三鷹高校視察の件は、全く
なかったことにしたかったのだと思います。
 私にとって米長氏の三鷹高校視察の件は、私の言論を封じる
ための脅迫そのものであると感じましたし、このことが都教委の
横暴を社会に訴えようと私が決意した原因だったのです。
(理由はわかりませんが、米長氏は結局三鷹高校へは来ませ
んでした)
 米長氏を批判したのは理由がありました。皆さんもご存じだと
思いますが、2004年10月、天皇の園遊会に呼ばれた米長氏
は、天皇にお褒めの言葉をもらおうと思い、「日本中の学校で
国旗を掲げ、国歌を斉唱させることが私の仕事です」と話しかけ
たところ、逆に天皇に「やはり、強制になるということではない
ことが望ましい」と諌められました。自分の尊敬する人から
諌められたら、「申し訳ありません。今後は強制しないように
していきます」と答えるのが当たり前です。しかし都教委の
国旗・国歌の指導は、それ以後も天皇の意思に反して、ます
ます強制の度合いを強めていったのです。だからこそ私は
米長氏を批判したのであり、それが密告されたのです。
 
 そして1回目(10月6日)の時から、米長さんを批判したことを
都教委から強く指導(私への言論弾圧)されたのです。そのこと
は私の手帳にも明記されています。だからこそ加藤氏が発言し
た時、嘘をつくなと心の中で叫んだのです。
 この加藤氏の嘘は絶対に許せませんでした。この思いが、
ジャーナリストの池添徳明氏を思い出させたのです。
池添氏は、私が三鷹高校に赴任した2005年4月から私を取材
していたのです。もしかすると池添氏に密告の件を話している
かもしれないと思い、すぐに連絡をしました。
すると、池添氏の取材ノートに、私の主張とまったく一致する
記録が残っていました。
「10月23日(2回目)、土肥氏が都教委に指導を受けた帰りに
横浜の喫茶店で待ち合わせ、10月6日と23日の指導の内容
について取材した。1回目も2回目も米長氏の件は指導された。
25日(3回目)には午後8時頃土肥氏から電話があり、米長氏
が近々三鷹高校に視察に来ることを告げられた」。
都教委の主張がすべて捏造されたことが明らかになったのです。

 第11回口頭弁論(4月7日)での私への主尋問で、池添氏の
取材ノートに記録されていた事実を述べ、都教委の事実の捏造を
明らかにしました。また、24日の日付の書いてある指導メモは、
都教委が日付を捏造した文書であり、まさに公文書偽造の罪に
問われるのではないかと思いました。加藤氏の「嘘」がなければ
池添氏を思い出すことはなく、まさしく加藤氏の「嘘」が、都教委の
「嘘」を証明してくれたのです。

 今回の裁判は、事実に基づいてお互いの主張をぶつけ合い、
どちらが正しいかを判断してもらおうと思っていました。
しかし都教委はその事実さえ捏造したのです。
都教委の行為は絶対に許されるものではないと思うとともに、
これが私の提訴し、裁判の場で正々堂々と論争しようと思って
いた都教委かと思うと情けなくなりました。

土肥 信雄

2011年3月4日金曜日

講演日記(22) ― @北海道 後志・倶知安町

2011年2月17日(木) 北海道 倶知安町
場所: 後志(しりべし)労働福祉センター  
時間: 午後6時30分から午後8時30分まで
 

今回の倶知安町(後志)での講演は私にとって忘れられないものとなりました。
 それは、前日の16日に、小樽で宿泊したことにはじまります。小樽に昼頃に着いて、小樽の街を観光していた時、小林多喜二に関係のある集会の看板を見つけました。実は私にとって小林多喜二はとても印象深い人でした。私が高校の教員になって、政治経済を教えるために使った資料集に、小林多喜二の写真があったのです。その写真は、小林多喜二の遺体を、多くの仲間が取り囲んでいる写真でした。思想犯として特高警察に逮捕され拷問の末、虐殺された遺体です。この写真を見て、「日本で、二度とふたたびこのような言論弾圧が行われてはいけない」と思ったことを鮮明に覚えています。私が今、言論の自由のために闘っている原点の一つなのかもしれません。

 小樽には修学旅行の引率で来たことがあり、市立小樽文学館に多喜二のコーナーがあったことを思い出し、次の日に文学館に行きました。有名な『蟹工船』を書いた多喜二は、小樽高等商業学校(現・小樽商科大)を卒業し、小樽ゆかりの人なのです。そこで驚いたのが、特高に捕まり拷問を受け虐殺されたのが、何と3日後の2月20日だったのです。多喜二の命日に、多喜二をしのぶ集会だったのです。
 
 今回の講演の最初に、小林多喜二のことを話しました。話しているときには、何と表現していいのかわからない、不思議な感情が胸にこみ上げてきたのです。多喜二は死を賭して自分の主張を貫いた。それに比べれば、今の私は死を賭すことはない。だからこそ、言論の自由を守るために、私が闘うのは、私の責任であり義務ではないかという思いが・・・。
 こんなことがあり、私自身がとても高揚した気持ちで講演したように思います。
 
 次の日に新千歳空港まで送ってもらう途中、世界的に有名なニセコスキー場(外国人がとても多かったです)、氷で作ったアイスバー(氷で作った飲み屋)、恵庭岳を背景にした支笏湖、まわり一面の銀世界、とても素敵な後志・倶知安でした。ただ一つ残念なことは、倶知安が誇る、羊蹄山の華麗な姿を見られなかったことです。羊蹄山を見るためにも、もう一度後志・倶知安を訪れることを夢見ています。後志の皆さんありがとうございました。また会えるのを楽しみにしています。

 
参加者の感想

◎子どもでもおかしいと思うくらいに「おかしい」やり方で行政は、権力を持つ人たちは、自分たちの考を人に押し付けてくるんだと思いました。こうやって言論の自由が侵害されていくんだと。他人事ではなく思いました。土肥さんの一本筋の通った主義主張「言論の自由をまもる」ことは平和を守る、民主主義を守ることに通じている、同じだと思いました。能動的に行動しなければ平和は守れないと、頭では理解していても、行動で示すことはしていない自分を思い起こすことができました。まず、自分の周りから意識していこうと思いました。
身近なところで、上司に対してでなく、同僚間でも言論の自由って認められない場面がある・・・なんてことにも改めて気付かされました。
何よりも、子どもたちのために、(自分がかかわった子供たちだけじゃなく、将来を生きていく子どもたちのために)活動をされている、土肥さんの生の声を、考えを、訴えを聞けたことに感謝します。ありがとうございました。

◎「土肥元校長の裁判は21世紀のガリレオ裁判か」
1928年3月15日、政府は主に共産党支持者に対し一斉弾圧を行った。小林多喜二の住む北海道小樽でも2ヶ月で約500人もの人が捕らえられ、警察署で拷問を受けた。この一件を小説にした小林多喜二は、1933年2月20日に東京で拷問を受け獄死。小樽出身の私にとって、言論の自由について考えさせられる大きな事件だった。
 この事件から約80年。「日本は平和になった、国民の自由が保障されるようになった」と多くの人が感じている。しかし、土肥先生の裁判の結果次第では、もうのんびりとしてはいられなくなるだろう。
 私のような20代の教員は、新卒のころから職員会議は補助機関化されている。周りからは「管理職がああ言うのだから、我々が主張をしても仕方が無い。」というような声も聞いたことがある。現時点で十分、一般教員は議論する意欲を失っているように思える。というのも、多くの職員が「おかしい」と思えることでも校長一人の判断で決定できるからで、良くないことに、そのような事例が目立つからである。これは校長に最終的な責任が求められるので、やむを得ないところであるが、会議の度にストレスが募ることが多かった。
 しかしながら今回、土肥先生に出会って一筋の希望が持てた。もしも校長が土肥先生のように、現場の教員の声にしっかりと耳を傾けてくれる人だったら、何も問題はない。そして、自分の意見を言える、それを聞いてもらえるという状況が、どんなに仕事をする上で活力をもたらしてくれるだろうかと想像できた。同時に、意見さえ述べられない状況がいかに絶望的かも想像できた。我々にはもう、ダメで元々という思いで意見を述べるしかないのに、それすらできないとは何と異常な事態だろうか。
 私は子どもに授業を評価してもらうし、学期の終わりには「担任の働きぶり」について成績表をつけてもらう。教育の主体は子どもたちであり、子どもたちの自由な意見を無視して教育活動はできないからだ。土肥先生の主張に最も感激したのは、子ども中心主義。きっと言論の自由がない世界を子どもたちに残したくは無い、という思いも強いのではないだろうかと感じた。

2011年2月10日木曜日

講演日記(21) ― @京都市

講演日記(21)  注:前回は(19)でしたが、正確には20回目でした
              ので今回を(21)に修正いたします。

2011年1月29日(土) 京都市
場所: 京都教育文化センター  
時間: 午後2時10分から午後3時40分まで

 今回は京都教職員組合の青年部の主催の京都青年教研『わかもんTeRAKOYA』の記念講演として私の講演が組まれました。
 最初に講演を依頼してきた先生の文面を見て驚きました。「実は私が初任者の時の辞令交付式で君が代を8回ほど歌わされました。しかも、声が小さい!あなたたちは明日から教壇に立つのにそんなことでどうする!と全員怒鳴られました。それから2,3年後の辞令交付式ではバタバタと倒れた若い先生がいて大問題になりました。今は改善方向に向かいましたが・・・」という文面です。京都はかつて革新府政でリベラルだと思っていたので「京都でもそこまでやるのか」という思いでした。

 東京都の教職員の意向を聞く挙手・採決の禁止通知により、東京だけが突出しているのかと思っていました。しかし全国的に、国旗・国歌問題を通して教員に対する管理が異常なほどまでに徹底され、教員が自由に発言する雰囲気が急速に無くなってきているのです。おそらく経験が少なくて自信の持てない若い教員は、ますます発言できず一人で悩んでいると思います。 その若い教員たちが主催する会で私が講演できることはとても嬉しいことでした。
 教育委員会や管理職によるトップダウンに従順に従い、発言しないのが当たり前と思う教員が増えれば、結果的には生徒の言論の自由を奪い、決して生徒のためにはならないのです。そのような教員にだけはなってほしくないという思いで、いつになく力の入った講演となりました。私があまりにも熱くなったため、「あつっくるしい人だなあ」と思った人もいたに違いありません。会の運営もすべて若者が行い、若者のエネルギーを感じることのできる集会でした。実行委員の皆さん、本当にご苦労様でした。
 
それと今回とても嬉しいことがありました。それは私が高校教員としてデビューした東京都立芝商業高校の卒業生が、わざわざ大阪から来てくれたのです。本当にうれしかった。教師冥利に尽きました。


出席者の感想
●とてもいい。自然に体に入ってくる講演でした。裁判はとても大変だと思いますが、後ろの生徒や保護者の応援が見えるようでした。
●よい。企画の勝利。土肥さんの言動には賛同できない部分も若干あるが大筋学べる。
●先生の話やDVDを見て、本当に涙が止まりませんでした。「子どものためにがんばる」これが教師だと思います。でも今は本当に日々の生活に追われ、「本当にこれが大切なの?」と思うことが多々あります。やっぱりそういう時には声を上げていかなければならないと実感しました。私は、今、6年生を担任し、戦争や日本国憲法を学習しています。まさに土肥先生と一緒です。平和主義、本当に熱くみんなで勉強しています。子どもたちは本当に自然な思いを持っています。事実を伝えると、「戦いはあかん。言論で解決していかなあかん」「なんで軍にお金を使うの?」といっています。私は子どもたちに、この思いをいつまでも持ち続けてほしいと思ってます。先日は「みんなが感じた平和を自分で思い続けているだけでなく、周りに伝えられるようになってほしい」と伝えました。また憲法に書いてある権利を詳しく見ていきました。人が一人ひとり大切にされていることを知り、権利を正しく理解できる子に育ってほしいと思います。

土肥先生もおっしゃっていたように、よい教育をし、これから生きる子どもたちが本当に幸せに生きられる社会にしていきたいと思いました。勇気付けられました!本当にありがとうございます!
●言論の自由はやはり何よりも大切な人権であると思う。
●まずは土肥先生の勢いに圧倒されました。校長先生になると職場からは離れていってしまうもんだと思っていましたが、管理職も捨てたもんじゃないなと思いました。
●思春期の子どものように「そんな大人(校長)おるわけないやん」と思う心がだんだん信じる気持ちになってきました。自分と同じ理念と行動…とはちょっと苦しいですが、「校長なんて」と決め付けるのではなく人間として対話を心がけたいと思います。
●信念を持って子どもに関わっておられることがすごいと思った。思っていてもなかなか行動にできないけど、私も少しずつ動いていきたい。
●土肥先生のことを知り、子どもたちの理想の校長先生だなあと思いました。すてきな先生のことを知れてよかったです。
●呼んでいただいて大正解でした。元気いっぱいもらいました。
●力強くてパワーのある講演で勇気をもらいました。
●DVDは土肥先生の普段の学校での様子が分かってよかったです。京都市で行われようとしている査定評価制度を何とか押し返さなければという気持ちが改めて強まった。
●DVDを見て人柄がよく、真剣に子どものことを考える教師なんだと思った。
●すごく熱い講演でした。子どものことを思い、日々がんばっていきたいと思います。
●すばらしいDVDで様子が具体的に伝わった。こんな先生がいらっしゃることに驚き、ぜひ裁判や活動がんばってほしいと思った。
●ほんまもんの教師って土肥先生みたいな人を言うのかな。学校にいる教師全てが土肥先生だとちょっとしんどいかもしれませんが(笑)いつまでも子ども中心で物事を考えられる人間でありたいと改めて思いました。
●とても熱い話を聞かせていただき、自分も一番に子どものことを考えているのかと改めて考えました。何よりも保護者と子どもに評価してもらえる教師になりたいと思います。
●DVDを最初に流していただいたので講演が分かりやすかったです。(テレ朝もよい番組つくるなあ)土肥先生のお話、分かりやすくておもしろかった!!都教委の横暴に立ち向かわれている姿、それを支援している生徒、保護者の姿に感動しました。「言論の自由」が合言葉になるような教育現場にしていきたいと思いました。
●DVD感動して涙が出ました。先生っていいなと思いました。校長先生で教師目線で動いてくださっている方がいらっしゃることが嬉しいです。
●笑顔がとっても素敵な先生ですね。TVで見る以上に生身の先生がパワフルで圧倒されそうでした。今日来れてよかった。
●人の上に立つ人は、こんな人であるべきだと思いました。(子どもの前に立つ人も教師の上に立つ人も)
●先生の明るい声に私も元気をもらいました。やはり自分の思いを通す、言うって大事です。それを貫かれておられる姿に頭が下がり、私もがんばろうって思いました。

2011年2月3日木曜日

支援者の皆さんへ

皆さんこんにちは。新しい年に入り、いかがお過ごしでしょうか。

今年は、東京地裁の判決が7月~9月に出る予定で、私にとってとても重要な年です。裁判に是非とも勝訴して、最高の年にしたいと思っています。
2008年5月、三鷹高校在職中に東京都教育委員会(都教委)の言論弾圧等の強権的な実態を社会に訴え、2009年6月に提訴して都教委と闘っています。多くの皆さんのご支援により、まったく孤立感を感ずることなく、皆さんからエネルギーをもらい、闘うことに喜びと責任を感じています。

闘いを通じて、都教委の横暴と卑怯さに私の怒りはますます大きくなっています。現職中に社会に訴えたのも、私に対する言論弾圧だけでなく、教職員や生徒に対する言論統制の意図が明らかになったからです。教育において言論の自由を奪うことは、戦前を見れば明らかなように、戦争への道につながる恐れがあるため、私は何度も都教委に対して公開討論を要求しました。都教委が正しいのか、私が正しいのか判断してもらうためにです。しかし都教委は全く応じてくれませんでした。やむを得ず、公開の場で討論するために裁判に訴えたのです。

その裁判の中で、私が絶対に許せないことが起こったのです。それは東京都教育委員会・教育委員(当時)の米長氏の三鷹高校訪問問題です。私が米長氏を批判したことを密告され、都教委から3回も呼び出され、最後には米長氏が三鷹高校を訪問することを告げられたのです。それは私に対する脅迫以外の何物でもありません。この時、私は都教委と闘う決心したのです。言論の自由が憲法で保障されている日本で、批判するだけで強権的な指導や脅迫をすることを私は許すことができませんでした。
ところが裁判の中では、都教委は米長氏が三鷹高校を訪問することを告げていないと主張しているのです。この都教委の「嘘」に私の怒りは頂点に達しました。「密告」から始まった私への言論弾圧と裁判の中での都教委の「嘘」の全てを全国民に伝え、都教委の「横暴と卑怯」の実態を明らかにしたいと思ったのです。

「それは、密告からはじまった」が七つ森書館より発売(2月1日)になりました。
裁判の中で、都教委は米長氏の問題だけでなく、多くの「嘘」をついて都教委を正当化しています。子どもたちに「嘘はついてはいけない」と教えている教育関係者が「嘘」をついて良いのでしょうか。私は裁判の中で、都教委と正々堂々と闘おうと思っていました。「事実は一つ」であり、その事実から出発してお互いの主張をぶつけて、最終的に公正な判断をしてもらいと思っていたのです。しかしその前提である「事実は一つ」が崩れてしまったのです。「それは、密告からはじまった」は、私の抑えられない怒りをぶつけ、渾身の力で都教委の「横暴と卑怯」を書き上げました。皆さんにも、ぜひ読んでいただきたいと思います。読んでいただいて私の怒りを感じていただければ幸いです。

なお、裁判の日程は下記の通りです。可能であれば傍聴においで下さい。
(いずれも東京地裁527法廷)
         
3月17日(木) 午前10時より全日 
・小山氏 中部センター副参事(当時)
・加藤氏 学務部課長・守屋氏 指導部高等学校教育指導課

3月24日(木) 午前9時50分より全日 
・園田氏 人事部選考課長 
・増田氏 指導部指導主事(面接官)
・田中氏 人事部職員課長
・古川氏 都立学校教育部課長

4月7日(木)午後1時30分より
・本人尋問 土肥

結審は5月頃、判決は7月~9月頃の予定。

土肥元校長の裁判を支援する会HP http://www.dohi-shien.com/html/

2011年2月1日
土肥 信雄