「学校に言論の自由を!」裁判判決日決定!!
12月22日(木)13時30分 です。
東京地裁 527号法廷
*今回の傍聴は抽選となりました。
午後1時頃(予定)に東京地裁正面玄関にお集まりください。
(集合場所、時間等の詳細は12月に決定次第おしらせします)
★裁判終了後、弁護士会館(場所は11月下旬に決定)で
報告会を行います。ぜひそちらにもご参加ください。
2011年9月30日金曜日
2011年9月29日木曜日
講演日記(24) ― @北海道宗谷稚内
2011年9月23日(金)北海道稚内市
場所: 稚内市立稚内東小学校
時間: 午後1時30分から午後3時まで
今回は日本最北の地である稚内市での教育研究宗谷支部集会の
講演でした。北海道の人ですら「9月でも稚内は寒いよ」と言われ、
「そうだろうな」と思っていましたが、実際に行った時にはあまり寒
くなく、とても気持ちの良い天候に恵まれました。
今回の講演は北海道に行く前にいろいろなことがあり、その意味
では記憶に残る講演旅行でした。一つ目が迷走台風15号です。
22日の飛行機で稚内に行く予定だったため、台風の直撃をすごく
心配しましたが、早い速度で通り過ぎたため予定通りのフライトで
した。(前日の21日、東京は台風のためほとんどの電車が止まり
大混乱でした)
二つ目は背広です。私は普段はあまり背広を着ることがないので
すが、講演の時は背広を着るようにしています。その背広を電車
の棚の上に忘れてしまったのです!!!ギャッと思ってすぐに京急
羽田駅に連絡したところ、電車は折り返してもう出発したとのこと。
(背広は忘れ物として保管されて、東京に帰ってから取りに行きま
した)そのため、よれよれの洋服で講演する羽目になり、宗谷支部
の皆さんには大変失礼なことをしたと思っています。
宗谷支部の皆さんごめんなさい。
会場に入った時、若い人たちが多く、青年部の集会と勘違いし
たほどでした。後で事情を聴いたところ、稚内は北海道でも最北
の地のため、異動希望者が少なく結果的に若い人たちが赴任す
ることになっているそうです。今の若い教員が職員会議でなかな
か発言しなくなってきている状況が全国的に広がっており、そのこ
とは子どもにとって良くないことだと思っていましたので、若い人
たちを見てファイトが湧いてきました。子どもを一番よく知っている
のは子どもと直接対応している教員であり、校長や教頭ではあり
ません。職員会議で発言することは子どもたちに対する教員の責
任であり義務であることを伝えようと思ったのです。
講演の時は皆さんとても真剣に聞いてくれていて嬉しかったの
ですが、今までと少し違った雰囲気でした。というのは、すでに講
演をお聞きになった人はご存じだと思いますが、私の講演は授業
のようなスタイルで時々は冗談も出て、笑いも起こるのですが、今
回の講演ではその反応が少し鈍く、私の講演があまり心に響かな
いのかなと心配しました。しかし、講演会の後の懇親会に出て、
少し安心しました。若い人たちもたくさん参加していてざっくばらん
に話が出来とても楽しい時間を過ごすことが出来たのです。
「面白いなと思ったけれども、講演者に対して笑うと失礼になるの
ではと笑いをこらえていました」と言われたのです。私はホッとし
ました。
23日から24日は素晴らしい天気に恵まれ、夜は満天の星空、
24日には最北端宗谷岬からのサハリン(樺太)の眺め、ノシャッ
プ岬からの利尻・礼文島、サロベツ湿原と北海道の大自然を満喫
することが出来ました。
北海道宗谷支部の皆さんありがとうございました。
◎ 参加者の感想
・VTR、講演ともにすばらしかった。また土肥先生のお話しを伺いたい。
・生徒は自分の鏡という言葉をよく耳にしますが、まさにその通りの校長でした。大変エネルギーをもらえたと思います。
・勉強になった
・教育条件について、とても熱心に子どもや教師のことを考えながら実践されていたんだなと思いました。とても聞きやすかったです。
・とても興味深い話ばかりで楽しかったです。
・権利を主張し続けることは大変な苦労だろうと感じる一方で、誰かがやらないと何も変わらないし、発展していかないのだと感じました。ありがとうございました。
・土肥先生の信念に感動しました。
・感動しました!校長先生の話し方や考え方などすばらしい人格をもった方だと思いました。自分も立派な人間になれるようこれからの生き方について考えていきたいです。良い話でした。
・大変良い講演会でした。言論の自由の大切さ、自分の意見をぶつけることの大切さを改めて感じました。
・とてもよかったです!!!校長先生の話をもっとたくさん聞きたいと思いました。上の圧力に負けず、がんばってください。
・実際の経験を混じえての話でしたので、とてもわかりやすかったです。土肥先生の人がらがよくわかり、このあとつづくであろう裁判もがんばってほしいです。
・予想以上におもしろく、さすが社会科教師と熱くなりました。ただ都教委のいう、教師としてではなく校長としてどうかという適正でしたから、オールCの根拠もわかるような気がしましたが…。学校自由化は,校舎の老朽化対応で振り分ける必要があったこと。教員評価でのC及びD20%は,財源確保の観点ということ。いずれも裁判を通して可視化を図ることが大切だと思いました。
・話し方がさすがうまいです。ひきつけられました。内容もリアルな事だったので、考えさせられました。
・とても熱心な気持ちが伝わってきました。情熱を持って教育に取り組んでいくことの大切さを再認識させられました。お話を聴けて大変よかったです。
・教育の中心にあるのは生徒であるということを再認識し、自身の信念に据えようと改めて思いました。
・生徒が教育の軸ということを改めて学ぶことができました。
・熱い人だと思いました。教育委員となり内部から変えてほしい!!
・東京都の教育委員会のやり方はあまりにもひどいですね。私も子どもたちのために、正しいことを正しいと言える教師になりたいと思いました。
・完璧!!東京の今の姿は北海道の10年後の姿だと聞いていたが、改めて近づいていると感じた。北海道の教育を守るためにも北教組の存在意義は大きい。電車に置き忘れたものが「卒業証書」や「色紙」でなくてよかったですね。
・子どもたちが一番の力になるということがよく伝わりました。教育委員会って本当は同じ方を見ているはずのところなのに、残念ながら見ているのは子どもや学校現場ではない。ということで、がんばっていかなくては流されてしまうということがわかりました。12月の判決の内容が気になります。
・素敵な校長先生で良かったと思いました。話もわかりやすかったです。
・現在管理職の先生方にぜひ聞いてもらいたい内容でした。校長も教頭も若いころは「子どものために」一生懸命だったはずなのに、年齢が上がり、校内での立場が上がり、管理職となっていつの間にか「学校の外面(ソトヅラ)ために」「学校長としての面子(メンツ)のために」一生懸命になっていることに気づいていないのでしょうか。そんなダサい姿に早く気づかせてあげたいです。
場所: 稚内市立稚内東小学校
時間: 午後1時30分から午後3時まで
今回は日本最北の地である稚内市での教育研究宗谷支部集会の
講演でした。北海道の人ですら「9月でも稚内は寒いよ」と言われ、
「そうだろうな」と思っていましたが、実際に行った時にはあまり寒
くなく、とても気持ちの良い天候に恵まれました。
今回の講演は北海道に行く前にいろいろなことがあり、その意味
では記憶に残る講演旅行でした。一つ目が迷走台風15号です。
22日の飛行機で稚内に行く予定だったため、台風の直撃をすごく
心配しましたが、早い速度で通り過ぎたため予定通りのフライトで
した。(前日の21日、東京は台風のためほとんどの電車が止まり
大混乱でした)
二つ目は背広です。私は普段はあまり背広を着ることがないので
すが、講演の時は背広を着るようにしています。その背広を電車
の棚の上に忘れてしまったのです!!!ギャッと思ってすぐに京急
羽田駅に連絡したところ、電車は折り返してもう出発したとのこと。
(背広は忘れ物として保管されて、東京に帰ってから取りに行きま
した)そのため、よれよれの洋服で講演する羽目になり、宗谷支部
の皆さんには大変失礼なことをしたと思っています。
宗谷支部の皆さんごめんなさい。
会場に入った時、若い人たちが多く、青年部の集会と勘違いし
たほどでした。後で事情を聴いたところ、稚内は北海道でも最北
の地のため、異動希望者が少なく結果的に若い人たちが赴任す
ることになっているそうです。今の若い教員が職員会議でなかな
か発言しなくなってきている状況が全国的に広がっており、そのこ
とは子どもにとって良くないことだと思っていましたので、若い人
たちを見てファイトが湧いてきました。子どもを一番よく知っている
のは子どもと直接対応している教員であり、校長や教頭ではあり
ません。職員会議で発言することは子どもたちに対する教員の責
任であり義務であることを伝えようと思ったのです。
講演の時は皆さんとても真剣に聞いてくれていて嬉しかったの
ですが、今までと少し違った雰囲気でした。というのは、すでに講
演をお聞きになった人はご存じだと思いますが、私の講演は授業
のようなスタイルで時々は冗談も出て、笑いも起こるのですが、今
回の講演ではその反応が少し鈍く、私の講演があまり心に響かな
いのかなと心配しました。しかし、講演会の後の懇親会に出て、
少し安心しました。若い人たちもたくさん参加していてざっくばらん
に話が出来とても楽しい時間を過ごすことが出来たのです。
「面白いなと思ったけれども、講演者に対して笑うと失礼になるの
ではと笑いをこらえていました」と言われたのです。私はホッとし
ました。
23日から24日は素晴らしい天気に恵まれ、夜は満天の星空、
24日には最北端宗谷岬からのサハリン(樺太)の眺め、ノシャッ
プ岬からの利尻・礼文島、サロベツ湿原と北海道の大自然を満喫
することが出来ました。
北海道宗谷支部の皆さんありがとうございました。
◎ 参加者の感想
・VTR、講演ともにすばらしかった。また土肥先生のお話しを伺いたい。
・生徒は自分の鏡という言葉をよく耳にしますが、まさにその通りの校長でした。大変エネルギーをもらえたと思います。
・勉強になった
・教育条件について、とても熱心に子どもや教師のことを考えながら実践されていたんだなと思いました。とても聞きやすかったです。
・とても興味深い話ばかりで楽しかったです。
・権利を主張し続けることは大変な苦労だろうと感じる一方で、誰かがやらないと何も変わらないし、発展していかないのだと感じました。ありがとうございました。
・土肥先生の信念に感動しました。
・感動しました!校長先生の話し方や考え方などすばらしい人格をもった方だと思いました。自分も立派な人間になれるようこれからの生き方について考えていきたいです。良い話でした。
・大変良い講演会でした。言論の自由の大切さ、自分の意見をぶつけることの大切さを改めて感じました。
・とてもよかったです!!!校長先生の話をもっとたくさん聞きたいと思いました。上の圧力に負けず、がんばってください。
・実際の経験を混じえての話でしたので、とてもわかりやすかったです。土肥先生の人がらがよくわかり、このあとつづくであろう裁判もがんばってほしいです。
・予想以上におもしろく、さすが社会科教師と熱くなりました。ただ都教委のいう、教師としてではなく校長としてどうかという適正でしたから、オールCの根拠もわかるような気がしましたが…。学校自由化は,校舎の老朽化対応で振り分ける必要があったこと。教員評価でのC及びD20%は,財源確保の観点ということ。いずれも裁判を通して可視化を図ることが大切だと思いました。
・話し方がさすがうまいです。ひきつけられました。内容もリアルな事だったので、考えさせられました。
・とても熱心な気持ちが伝わってきました。情熱を持って教育に取り組んでいくことの大切さを再認識させられました。お話を聴けて大変よかったです。
・教育の中心にあるのは生徒であるということを再認識し、自身の信念に据えようと改めて思いました。
・生徒が教育の軸ということを改めて学ぶことができました。
・熱い人だと思いました。教育委員となり内部から変えてほしい!!
・東京都の教育委員会のやり方はあまりにもひどいですね。私も子どもたちのために、正しいことを正しいと言える教師になりたいと思いました。
・完璧!!東京の今の姿は北海道の10年後の姿だと聞いていたが、改めて近づいていると感じた。北海道の教育を守るためにも北教組の存在意義は大きい。電車に置き忘れたものが「卒業証書」や「色紙」でなくてよかったですね。
・子どもたちが一番の力になるということがよく伝わりました。教育委員会って本当は同じ方を見ているはずのところなのに、残念ながら見ているのは子どもや学校現場ではない。ということで、がんばっていかなくては流されてしまうということがわかりました。12月の判決の内容が気になります。
・素敵な校長先生で良かったと思いました。話もわかりやすかったです。
・現在管理職の先生方にぜひ聞いてもらいたい内容でした。校長も教頭も若いころは「子どものために」一生懸命だったはずなのに、年齢が上がり、校内での立場が上がり、管理職となっていつの間にか「学校の外面(ソトヅラ)ために」「学校長としての面子(メンツ)のために」一生懸命になっていることに気づいていないのでしょうか。そんなダサい姿に早く気づかせてあげたいです。
2011年9月1日木曜日
地裁での最終口頭弁論
判決日決定!!
12月22日(木)午後1時30分 527法廷
第13回最終口頭弁論報告
(2011年8月25日10時より、東京地裁527法廷にて)
今回の口頭弁論では、これまでの青野裁判長に代わって8月1日
付 で着任された古久保裁判長のもとで、土肥先生が、新たに準
備された「最終口頭弁論 意見陳述書」をもとに、三鷹高校の
卒業生とその保護者からの色紙をも示しながら、最終意見陳述
を行いました。
そのあと、原告代理人の吉峯弁護士が、「ひとこと」ということで、
意見を述べられました。吉峯弁護士は、毎回、傍聴席が満員に
なるほど注目されている、教育の問題に関する重要な裁判で
あることを新しい裁判長に対して訴えられました。また、特に、
土肥先生が オールC評価によって、非常勤教員不採用とな
った点を強調され、土肥先生は、吉峯弁護士から見ても際立
って優秀で、人格的にも素晴らしい方であり、また生徒から
もらった色紙等が示すように教育実践において優れ、現在も
複数の大学で非常勤講師として活躍 している方であるにも
かかわらず、教育現場での実践によってではなく、都教委の
誤った指示に対して反対意見を表明したがゆえにオールC
評価になり、非常勤教員採用試験に不合格となったことの
不公正さを訴え、公正な判断をお願いしたい、と締めくくら
れました。
被告代理人の弁護士からの意見陳述はありませんでした。
裁判長より、判決は、12月22日(木)午後1時半に、527
法廷で 申し渡されることが伝えられ、結審となりました。
今回も、傍聴の定員42名を超える、50名ほどの方が支
援の傍聴 にお越しくださいました。
(土肥元校長の最終口頭弁論陳述の内容は別掲)
12月22日(木)午後1時30分 527法廷
第13回最終口頭弁論報告
(2011年8月25日10時より、東京地裁527法廷にて)
今回の口頭弁論では、これまでの青野裁判長に代わって8月1日
付 で着任された古久保裁判長のもとで、土肥先生が、新たに準
備された「最終口頭弁論 意見陳述書」をもとに、三鷹高校の
卒業生とその保護者からの色紙をも示しながら、最終意見陳述
を行いました。
そのあと、原告代理人の吉峯弁護士が、「ひとこと」ということで、
意見を述べられました。吉峯弁護士は、毎回、傍聴席が満員に
なるほど注目されている、教育の問題に関する重要な裁判で
あることを新しい裁判長に対して訴えられました。また、特に、
土肥先生が オールC評価によって、非常勤教員不採用とな
った点を強調され、土肥先生は、吉峯弁護士から見ても際立
って優秀で、人格的にも素晴らしい方であり、また生徒から
もらった色紙等が示すように教育実践において優れ、現在も
複数の大学で非常勤講師として活躍 している方であるにも
かかわらず、教育現場での実践によってではなく、都教委の
誤った指示に対して反対意見を表明したがゆえにオールC
評価になり、非常勤教員採用試験に不合格となったことの
不公正さを訴え、公正な判断をお願いしたい、と締めくくら
れました。
被告代理人の弁護士からの意見陳述はありませんでした。
裁判長より、判決は、12月22日(木)午後1時半に、527
法廷で 申し渡されることが伝えられ、結審となりました。
今回も、傍聴の定員42名を超える、50名ほどの方が支
援の傍聴 にお越しくださいました。
(土肥元校長の最終口頭弁論陳述の内容は別掲)
2011年8月13日土曜日
講演日記(23) - @広島市
2011年7月30日(土) 広島市
場所: RCC文化センター
私は今まで不思議なことに広島の原爆ドームと資料館には一度も言ったことがありませんでした。何回も修学旅行に引率していますが、広島修学旅行の引率は一度もなかったのです。昨年(2010年)8月に講演の依頼を受けた時、この機会に原爆ドームに是非行ってみようと思いました。
そして3月11日に東日本大震災が発生し福島原子力発電所があのような事態になりました。私は政治経済の教員として、「原爆と原発は同じで常に放射能の危険を伴う」と生徒に教えてきました。「原発は絶対安全」と説明して原発を推進してきた人たちに対し、「それは嘘だ、絶対に安全ということはない。消費するのは東京都民なのだから、絶対安全というなら東京都心に原発を建設すればいいじゃないか。」と思っていました。東京の都心に原発を建設しないのは「原発が危険である」という証拠なのです。「原発は絶対安全だ」と言っていた人達には被災地に行って土下座して謝罪してもらい、全ての財産を復興のために投げ出し、被災者と同じ生活をしてもらいたいと思います。安穏とした生活をしていたら許せません。
講演会には会場一杯になるほどの参加者があり、皆さん真剣に聞いてもらいました。
そして嬉しかったのは参加者の中に、三鷹高校で一緒に働いていたO先生が参加して下さったことでした。(2009年3月に私と一緒に退職され、故郷の広島市に帰っておられました)O先生は現職中から私を支援して下さり、裁判においても証人として陳述書を書いて下さったのです。
午後の分科会の「職場の民主化」に出席してわかったことですが、広島の現状は管理が強化され、校長は全ての事で教委にお伺いを立て、校長の恣意的で独裁的な学校運営が広がり、職員会議さえ持てない状況の学校も多くなっているとのことでした。だからこそ「言論の自由」に対して、とても関心があり真剣に聞いて下さったのだと思います。私は「教員の言論の自由」がなくなれば、「生徒の言論の自由」もなくなり、それは生徒のためにならないと思っています。そのことは戦前の日本の教育が証明しています。全国のほとんどの学校が「生徒の主体性を育てる」、「生徒の自主性を育てる」を教育目標にしています。生徒の言論の自由がなくなることは、生徒の主体性、自主性を育てることを不可能にするのです。だからこそ東京の状況を変えたいと思い裁判に訴えたのです。しかし全国で講演をして、教育委員会による学校の管理強化は東京だけでなく、全国に広がっている状況であることが分かりました。教育委員会の独裁(校長は教委の言いなりですから)を防ぐためにも、私の裁判を勝利しなければならないとますますファイトが湧いてきました。広島の皆さん、楽しく講演させていただきありがとうございました。今後とも私の裁判の応援よろしくお願いします。
翌日はO先生の案内で、宮島と原爆ドームに行ってきました。原爆ドーム、原爆資料館を見て再度戦争を起こしてはならないと決意し、ユネスコ憲章にある「戦争は人の心の中で生まれるものであるから、人の心の中に平和の砦を築かなければならない」の言葉を思い出しました。平和は人類最高の文化であり、人の心の中に平和の砦を育てるのが教育なのです。
◎参加者の感想
● 講師の先生の話はわかりやすく、大変元気が出ました。何らかのかたちで、参加できなかった分会員にも伝えたいと思います。
● とっても元気が出るお話でした。ただ、今後どう取り組んでいくかは、やはりしんどいことだなと感じています。
● こんな校長さんもおられるんですね。一緒に働いてみたかった。とてもよかったです。もっとみんなにきいてもらいたいと思いました。
● 土肥校長のエネルギッシュな姿に元気をもらえました。
● 非常に元気づけられる講演内容でした。一人から始まる勇気を学ぶことが出来た。
● 講演もよかったです。
● 腹の底から笑わせてもらいました。
● 講演はとても勉強になりました。元気が出ました。
● 講演は講師がエネルギッシュなこともあり、広島が受けてきた攻撃と現状と考え合わせ、とってもよかったです。
● 涙が出ました。教師として「生徒が宝」を最後まで通して定年が迎えられるのだろうか、と不安な気持ちに感動の風が吹きました。闘いのために仲間が必要です。私も人とつながりながら頑張っていきたいと強く感じました。
● まずは、「こんな校長もいるのか!」というのが、まず1番強く残った印象です。子どもや現場の教員に向き合う校長がいたんだということが、感動です。今まで出会った校長にそんな人はいなかったし、こんな人間性の人が校長、いえ暴君として君臨しているのかと怒りとあきらめが大きくなっていたので。私たちは組合として組織で闘っているけど、土肥さんは一人(支える人たちはたくさんいるけれど)で巨大な権力と闘っている!忘れかけていた強い思いをゆさぶられた講演でした。ありがとうございました。
● 広島県の職員会議に関する記述から「民主的」ということばが消された時の腹立たしさ・怒り・煮えくりかえるような思いを思い出しました。怒りとともに日々を過ごしていると、怒りに身を焼かれて自分の身が危ういと、怒りを静めました。「私は県教委のために教育活動をしているのではない。県教委の指示とは別のところで自分の教育活動をするのだ」と考えることによって怒りを静めましたが、いつしか怒りを忘れて、楽に生きていたんだと思いました。怒るべきことを忘れてはいけないと気持ちをあらたにしました。
● 元校長を呼んだことの説明が十分でなかった。「来る」のは相手の事情、「呼ぶ」理由は「門長さんに聞いた」ということと、広島の校長なら話せない、というくらいで説明になってないのではないかと思った。案内でもそう思ってが、実際に聞いても、じゃあ教職員はどうだったの?という?が残ったし、その人たちの話こそ聞くべきではないかと思った。
● 気分がスッキリした。自分も意見をきちんと言おう!!考えることのできる生徒になるよう何ができるか考えようと思う。月曜日から元気を出して学校に行けると思いました。
場所: RCC文化センター
私は今まで不思議なことに広島の原爆ドームと資料館には一度も言ったことがありませんでした。何回も修学旅行に引率していますが、広島修学旅行の引率は一度もなかったのです。昨年(2010年)8月に講演の依頼を受けた時、この機会に原爆ドームに是非行ってみようと思いました。
そして3月11日に東日本大震災が発生し福島原子力発電所があのような事態になりました。私は政治経済の教員として、「原爆と原発は同じで常に放射能の危険を伴う」と生徒に教えてきました。「原発は絶対安全」と説明して原発を推進してきた人たちに対し、「それは嘘だ、絶対に安全ということはない。消費するのは東京都民なのだから、絶対安全というなら東京都心に原発を建設すればいいじゃないか。」と思っていました。東京の都心に原発を建設しないのは「原発が危険である」という証拠なのです。「原発は絶対安全だ」と言っていた人達には被災地に行って土下座して謝罪してもらい、全ての財産を復興のために投げ出し、被災者と同じ生活をしてもらいたいと思います。安穏とした生活をしていたら許せません。
講演会には会場一杯になるほどの参加者があり、皆さん真剣に聞いてもらいました。
そして嬉しかったのは参加者の中に、三鷹高校で一緒に働いていたO先生が参加して下さったことでした。(2009年3月に私と一緒に退職され、故郷の広島市に帰っておられました)O先生は現職中から私を支援して下さり、裁判においても証人として陳述書を書いて下さったのです。
午後の分科会の「職場の民主化」に出席してわかったことですが、広島の現状は管理が強化され、校長は全ての事で教委にお伺いを立て、校長の恣意的で独裁的な学校運営が広がり、職員会議さえ持てない状況の学校も多くなっているとのことでした。だからこそ「言論の自由」に対して、とても関心があり真剣に聞いて下さったのだと思います。私は「教員の言論の自由」がなくなれば、「生徒の言論の自由」もなくなり、それは生徒のためにならないと思っています。そのことは戦前の日本の教育が証明しています。全国のほとんどの学校が「生徒の主体性を育てる」、「生徒の自主性を育てる」を教育目標にしています。生徒の言論の自由がなくなることは、生徒の主体性、自主性を育てることを不可能にするのです。だからこそ東京の状況を変えたいと思い裁判に訴えたのです。しかし全国で講演をして、教育委員会による学校の管理強化は東京だけでなく、全国に広がっている状況であることが分かりました。教育委員会の独裁(校長は教委の言いなりですから)を防ぐためにも、私の裁判を勝利しなければならないとますますファイトが湧いてきました。広島の皆さん、楽しく講演させていただきありがとうございました。今後とも私の裁判の応援よろしくお願いします。
翌日はO先生の案内で、宮島と原爆ドームに行ってきました。原爆ドーム、原爆資料館を見て再度戦争を起こしてはならないと決意し、ユネスコ憲章にある「戦争は人の心の中で生まれるものであるから、人の心の中に平和の砦を築かなければならない」の言葉を思い出しました。平和は人類最高の文化であり、人の心の中に平和の砦を育てるのが教育なのです。
◎参加者の感想
● 講師の先生の話はわかりやすく、大変元気が出ました。何らかのかたちで、参加できなかった分会員にも伝えたいと思います。
● とっても元気が出るお話でした。ただ、今後どう取り組んでいくかは、やはりしんどいことだなと感じています。
● こんな校長さんもおられるんですね。一緒に働いてみたかった。とてもよかったです。もっとみんなにきいてもらいたいと思いました。
● 土肥校長のエネルギッシュな姿に元気をもらえました。
● 非常に元気づけられる講演内容でした。一人から始まる勇気を学ぶことが出来た。
● 講演もよかったです。
● 腹の底から笑わせてもらいました。
● 講演はとても勉強になりました。元気が出ました。
● 講演は講師がエネルギッシュなこともあり、広島が受けてきた攻撃と現状と考え合わせ、とってもよかったです。
● 涙が出ました。教師として「生徒が宝」を最後まで通して定年が迎えられるのだろうか、と不安な気持ちに感動の風が吹きました。闘いのために仲間が必要です。私も人とつながりながら頑張っていきたいと強く感じました。
● まずは、「こんな校長もいるのか!」というのが、まず1番強く残った印象です。子どもや現場の教員に向き合う校長がいたんだということが、感動です。今まで出会った校長にそんな人はいなかったし、こんな人間性の人が校長、いえ暴君として君臨しているのかと怒りとあきらめが大きくなっていたので。私たちは組合として組織で闘っているけど、土肥さんは一人(支える人たちはたくさんいるけれど)で巨大な権力と闘っている!忘れかけていた強い思いをゆさぶられた講演でした。ありがとうございました。
● 広島県の職員会議に関する記述から「民主的」ということばが消された時の腹立たしさ・怒り・煮えくりかえるような思いを思い出しました。怒りとともに日々を過ごしていると、怒りに身を焼かれて自分の身が危ういと、怒りを静めました。「私は県教委のために教育活動をしているのではない。県教委の指示とは別のところで自分の教育活動をするのだ」と考えることによって怒りを静めましたが、いつしか怒りを忘れて、楽に生きていたんだと思いました。怒るべきことを忘れてはいけないと気持ちをあらたにしました。
● 元校長を呼んだことの説明が十分でなかった。「来る」のは相手の事情、「呼ぶ」理由は「門長さんに聞いた」ということと、広島の校長なら話せない、というくらいで説明になってないのではないかと思った。案内でもそう思ってが、実際に聞いても、じゃあ教職員はどうだったの?という?が残ったし、その人たちの話こそ聞くべきではないかと思った。
● 気分がスッキリした。自分も意見をきちんと言おう!!考えることのできる生徒になるよう何ができるか考えようと思う。月曜日から元気を出して学校に行けると思いました。
2011年7月10日日曜日
第12回口頭弁論の報告(2011年7月7日 七夕の日)
7月7日午前10時より東京地裁522法廷で開かれました。
今回も大勢の傍聴者が来て下さり、開廷約30分前に、傍聴席(定員42名)が満員となり、最終的には70名~80名の方が来て下さったため、法廷に入れない人が大勢いらっしゃいました。法廷に入れなかった皆様大変申し訳ありませんでした。しかし傍聴席を満員にすることは裁判官の心証にも影響しますので、今回に懲りずに次回もよろしくお願いします。もちろん報告集会には傍聴できなかった人も参加してくださいました。
今回結審し、いよいよ判決日が申し渡されるものと緊張して迎えましたが、なんと前日になって、裁判所より「明日が結審ではなく、もう一回口頭弁論がある予定」との情報がもたらされ、拍子ぬけした面もありますが、最初に予定通り原告元三鷹高校校長土肥信雄氏より下記の意見陳述が行われました。
= 第12回口頭弁論 意見陳述 =
2年前の2009年(平成21年)6月4日、私は東京都教育委員会(都教委)を提訴しました。今、提訴して本当に良かったと思っています。もし提訴しなければ、現職中の私に対する言論弾圧や非常勤教員不合格について、すべて闇の中に葬り去られるところでした。裁判を通して、とにかく都教委の主張を全部聞けたことは、お互いの主張が全て公になり、どちらが正しいかを判断してもらえる材料が出そろったからです。
私は大学で学生たちを教えています。言論の自由の問題について、学生たちに「天皇は神様だと思いますか?人間だと思いますか?」という質問をしたところ、「神様だ」と答える学生は皆無でした。しかし戦前においては100%の学生が「神様だ」と答えました。それは、教育の現場で言論の自由がなく、「天皇は神様だ」と教えこまれたからです。このようなことが積み重なった結果として第二次世界大戦という悲惨な結果を迎えたことは、日本国民自身が十分に自覚していると思います。だからこそ「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることの無いようにすることを決意し」、国民主権、基本的人権の尊重、平和主義を基本理念とした日本国憲法を制定したのです。戦前においても戦争に反対する人は多くいたと思います。しかしそれを発言するためには、命を賭けなければなりませんでした。私は、子ども達に、戦前のような暗黒の社会を再び経験させないためにも、教育の現場において言論の自由だけは絶対に譲ることはできません。発言することに命を賭ける必要のない現代において、「あの時言っておけば良かった」という後悔だけはしたくなかったのです。
一人ひとりの意見を尊重する民主主義にとって、言論の自由は不可欠です。私は、私と100%意見が違っている人でも、その人の言論の自由は100%保障したいと思います。そして自由な発言を通して決まったことについては、自分の意に反していても、それに従うことが民主主義を守るために必要だと思っています。だからこそ私は「法令遵守」を私の信条とし、現職中においても全ての法令は守ってきました。職員会議で教職員の意向を聞く挙手・採決も三鷹高校ではやっていません。卒業式等でも職務命令は出しました。国旗国歌問題についても、校長として不起立者を報告しました。私は民主主義のルールに基づいて、都教委に対して意見表明をしただけです。
都教委は、その民主主義の前提である言論の自由を教育の現場から奪おうとしたため、私は説明を求めて何回も公開討論を要求したのです。しかし都教委は、私の納得する説明もせずに公開討論を拒み続けたため、提訴せざるを得なかったのです。
事実は一つです。裁判の中では、その事実に基づいて、お互いの主張をぶつけ合い、論争ができるとばかり思っていました。しかし都教委はその事実さえも捏造し、私を抹殺しようとしたことが、裁判を通してはっきりと証明されたのです。特に都教委側の証人尋問の証言において、許されないような事実が判明し、これが教育に携わる人間が行う行為かと思うと本当に情けなくなるとともに、このようなことを許してはならないと思いました。特に許せなかったのが下記の4点です。
① 私が米長氏を批判したことを密告され、3回指導を受け、(2006年10月6日、23日、25日)3回目には米長氏が近々三鷹高校に視察に行くことを告げられました。その事実はジャーナリストの池添徳明(いけぞえのりあき)氏の取材ノートに明記されていたのです。しかし都教委は、指導の記録の日付(24日)まで捏造して、指導は2回(6日、24日)であり、米長氏の三鷹高校視察の件は一切指導していないと主張しているのです。
② 20年度、非常勤教員採用選考推薦書兼業績評価書のオール「C」は私一人であったと、当時の人事部選考課長は証言しました。(790人受験中最低の790番目の成績)私の退職にあたって、卒業生から退職の卒業証書をもらい、卒業生全員と保護者から色紙をもらった私が、なぜ最低の成績なのでしょうか。どうしても納得ができません。
③ 20年度、非常勤教員採用選考推薦書業績評価書の作成の過程で、私の教育現場(三鷹高校)での、教育実績については一切評価の対象にしていないと当時の人事部職員課長が証言しました。信じられません。校長を評価する対象は、当然学校現場での教育実績だと思います。三鷹高校で、補習体制を組織し、挨拶を励行させ、中途退学者を減少させ、体罰の禁止を教員に指導した私の教育実績が全く評価されないのは、評価そのものが間違っていると思います
④ 非常勤教員採用選考の面接で、私は面接者の質問に全く正対しない回答をしたので、低い評価となったと面接官の指導主事が証言しました。私は面接の内容が書かれた都教委側の証人の陳述書を読みました。私が読んでも、私が全く質問に正対していない回答が列記されており、私がこのような回答をするわけがないと驚きました。私は常に、質問に正対した回答をするように生徒に教えてきましたし、私自身も質問に正対する回答を心掛けてきました。生徒や保護者の陳述書を読んでいただければ、それはわかると思います。その私がなぜ正対しない回答になったのか。それは質問を捏造し、私の回答を捏造したからです。私の意見と違う回答が随所に書いてありました。
その他、この裁判で争っている生徒の掲示物問題、業績評価における相対評価の強要、卒業式等における個別的職務命令の強要、定時制発表会の発表者の交代問題等、全ての問題で都教委の主張と私の主張は全く違っています。私も都教委も、学校を活性化し、特色ある学校づくりをして、子どもたちが生き生きとした学校生活が送れるように望んでいるはずです。だからこそ、校長の権限と責任を強化し、校長のリーダーシップを確立させることを文部科学省ですら主張しているのです。しかし都教委はその校長の権限ですら侵害し、都教委による教育支配を意図しているのです。
民主主義国家であり、法治国家である日本の最高法規は日本国憲法であり、日本国憲法第21条には「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由はこれを保障する」、また教育基本法第16条には「教育は、不当な支配に服することなく、この法律及び他の法律の定めるところにより行われる」と明記されています。私の主張と都教委の主張を十分に吟味、比較して、日本国憲法及び教育基本法の理念に基づく、公正な判断をして下さるようにお願い申し上げます。
2011年(平成23年)7月7日
原告 元東京都立三鷹高等学校 校長 土肥信雄
============================
土肥氏の意見陳述後、裁判長よりもう一度口頭弁論を開くことが
告げられ、8月25日(木)午前10時、527法廷で開かれることが
決定し、再度土肥氏の意見陳述を行うことも認められ閉廷となりました。
= 裁判報告集会 =
裁判終了後、弁護士会館で裁判報告集会がもたれました。
最初に吉峯弁護士より、「教育がはたして憲法に依拠して行われているのか。条例や職務命令で、心の問題を強要するような現在の教育の状況は民主主義の危機でもある。その意味で土肥氏の裁判は非常に重要であり、この裁判に関心を持ち、支援することは歴史的にも意味がある。今日もこれだけ大勢の支援者が駆けつけて下さる事に感謝しており、今後とも皆さんの支援をお願いしたい。」との発言がありました。続いて高橋弁護士からは結審が裁判所の都合で延びたことと、判決は年内ぎりぎりか年明けとなる可能性が高いことが報告されました。土肥氏からは「今日で結審すると思っていたので、少し残念だが、8月25日にも意見陳述をさせてくれるので、発言する機会が増えて良かったと前向きに考えていきたい。きっとどっちが勝っても控訴することになり、時間が経てば経つほど、この裁判に関心を持ってくれる人は増えて行き、それだけ都教委は醜態をさらすことになるので私にとって有利になると思っている。」との発言がありました。参加者より「判決の日は記者会見をするのか」、「全国的に署名を集めたらどうか」「外国人記者クラブで記者会見をしたらどうか」等の質問があり、土肥氏は「判決の日には記者会見を必ず行う。」「全国的な署名や外国人記者クラブの記者会見については事務局で検討する。」との回答がありました。
最後に立正大学の浪本教授が「土肥氏の提起した裁判は、日本の教育界に〈言論の自由〉、ひいては教育の自由が保障され、各学校が本来の教育的使命を達成できるようになるか、あるいは強権的な教育行政によってさらに各学校が委縮していくことになるのか、の大きな岐路に立つ裁判である」と発言して下さり報告会を終了した。
次回最終口頭弁論 8月25日(木)午前10時 527法廷
*この日に恐らく結審となりますので判決日が決定します。
*土肥先生が再度意見陳述(新しい内容)をします。
*傍聴席を満員にして裁判官の心証を良くしたいと思いますのでよろしくお願いします。
今回も大勢の傍聴者が来て下さり、開廷約30分前に、傍聴席(定員42名)が満員となり、最終的には70名~80名の方が来て下さったため、法廷に入れない人が大勢いらっしゃいました。法廷に入れなかった皆様大変申し訳ありませんでした。しかし傍聴席を満員にすることは裁判官の心証にも影響しますので、今回に懲りずに次回もよろしくお願いします。もちろん報告集会には傍聴できなかった人も参加してくださいました。
今回結審し、いよいよ判決日が申し渡されるものと緊張して迎えましたが、なんと前日になって、裁判所より「明日が結審ではなく、もう一回口頭弁論がある予定」との情報がもたらされ、拍子ぬけした面もありますが、最初に予定通り原告元三鷹高校校長土肥信雄氏より下記の意見陳述が行われました。
= 第12回口頭弁論 意見陳述 =
2年前の2009年(平成21年)6月4日、私は東京都教育委員会(都教委)を提訴しました。今、提訴して本当に良かったと思っています。もし提訴しなければ、現職中の私に対する言論弾圧や非常勤教員不合格について、すべて闇の中に葬り去られるところでした。裁判を通して、とにかく都教委の主張を全部聞けたことは、お互いの主張が全て公になり、どちらが正しいかを判断してもらえる材料が出そろったからです。
私は大学で学生たちを教えています。言論の自由の問題について、学生たちに「天皇は神様だと思いますか?人間だと思いますか?」という質問をしたところ、「神様だ」と答える学生は皆無でした。しかし戦前においては100%の学生が「神様だ」と答えました。それは、教育の現場で言論の自由がなく、「天皇は神様だ」と教えこまれたからです。このようなことが積み重なった結果として第二次世界大戦という悲惨な結果を迎えたことは、日本国民自身が十分に自覚していると思います。だからこそ「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることの無いようにすることを決意し」、国民主権、基本的人権の尊重、平和主義を基本理念とした日本国憲法を制定したのです。戦前においても戦争に反対する人は多くいたと思います。しかしそれを発言するためには、命を賭けなければなりませんでした。私は、子ども達に、戦前のような暗黒の社会を再び経験させないためにも、教育の現場において言論の自由だけは絶対に譲ることはできません。発言することに命を賭ける必要のない現代において、「あの時言っておけば良かった」という後悔だけはしたくなかったのです。
一人ひとりの意見を尊重する民主主義にとって、言論の自由は不可欠です。私は、私と100%意見が違っている人でも、その人の言論の自由は100%保障したいと思います。そして自由な発言を通して決まったことについては、自分の意に反していても、それに従うことが民主主義を守るために必要だと思っています。だからこそ私は「法令遵守」を私の信条とし、現職中においても全ての法令は守ってきました。職員会議で教職員の意向を聞く挙手・採決も三鷹高校ではやっていません。卒業式等でも職務命令は出しました。国旗国歌問題についても、校長として不起立者を報告しました。私は民主主義のルールに基づいて、都教委に対して意見表明をしただけです。
都教委は、その民主主義の前提である言論の自由を教育の現場から奪おうとしたため、私は説明を求めて何回も公開討論を要求したのです。しかし都教委は、私の納得する説明もせずに公開討論を拒み続けたため、提訴せざるを得なかったのです。
事実は一つです。裁判の中では、その事実に基づいて、お互いの主張をぶつけ合い、論争ができるとばかり思っていました。しかし都教委はその事実さえも捏造し、私を抹殺しようとしたことが、裁判を通してはっきりと証明されたのです。特に都教委側の証人尋問の証言において、許されないような事実が判明し、これが教育に携わる人間が行う行為かと思うと本当に情けなくなるとともに、このようなことを許してはならないと思いました。特に許せなかったのが下記の4点です。
① 私が米長氏を批判したことを密告され、3回指導を受け、(2006年10月6日、23日、25日)3回目には米長氏が近々三鷹高校に視察に行くことを告げられました。その事実はジャーナリストの池添徳明(いけぞえのりあき)氏の取材ノートに明記されていたのです。しかし都教委は、指導の記録の日付(24日)まで捏造して、指導は2回(6日、24日)であり、米長氏の三鷹高校視察の件は一切指導していないと主張しているのです。
② 20年度、非常勤教員採用選考推薦書兼業績評価書のオール「C」は私一人であったと、当時の人事部選考課長は証言しました。(790人受験中最低の790番目の成績)私の退職にあたって、卒業生から退職の卒業証書をもらい、卒業生全員と保護者から色紙をもらった私が、なぜ最低の成績なのでしょうか。どうしても納得ができません。
③ 20年度、非常勤教員採用選考推薦書業績評価書の作成の過程で、私の教育現場(三鷹高校)での、教育実績については一切評価の対象にしていないと当時の人事部職員課長が証言しました。信じられません。校長を評価する対象は、当然学校現場での教育実績だと思います。三鷹高校で、補習体制を組織し、挨拶を励行させ、中途退学者を減少させ、体罰の禁止を教員に指導した私の教育実績が全く評価されないのは、評価そのものが間違っていると思います
④ 非常勤教員採用選考の面接で、私は面接者の質問に全く正対しない回答をしたので、低い評価となったと面接官の指導主事が証言しました。私は面接の内容が書かれた都教委側の証人の陳述書を読みました。私が読んでも、私が全く質問に正対していない回答が列記されており、私がこのような回答をするわけがないと驚きました。私は常に、質問に正対した回答をするように生徒に教えてきましたし、私自身も質問に正対する回答を心掛けてきました。生徒や保護者の陳述書を読んでいただければ、それはわかると思います。その私がなぜ正対しない回答になったのか。それは質問を捏造し、私の回答を捏造したからです。私の意見と違う回答が随所に書いてありました。
その他、この裁判で争っている生徒の掲示物問題、業績評価における相対評価の強要、卒業式等における個別的職務命令の強要、定時制発表会の発表者の交代問題等、全ての問題で都教委の主張と私の主張は全く違っています。私も都教委も、学校を活性化し、特色ある学校づくりをして、子どもたちが生き生きとした学校生活が送れるように望んでいるはずです。だからこそ、校長の権限と責任を強化し、校長のリーダーシップを確立させることを文部科学省ですら主張しているのです。しかし都教委はその校長の権限ですら侵害し、都教委による教育支配を意図しているのです。
民主主義国家であり、法治国家である日本の最高法規は日本国憲法であり、日本国憲法第21条には「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由はこれを保障する」、また教育基本法第16条には「教育は、不当な支配に服することなく、この法律及び他の法律の定めるところにより行われる」と明記されています。私の主張と都教委の主張を十分に吟味、比較して、日本国憲法及び教育基本法の理念に基づく、公正な判断をして下さるようにお願い申し上げます。
2011年(平成23年)7月7日
原告 元東京都立三鷹高等学校 校長 土肥信雄
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土肥氏の意見陳述後、裁判長よりもう一度口頭弁論を開くことが
告げられ、8月25日(木)午前10時、527法廷で開かれることが
決定し、再度土肥氏の意見陳述を行うことも認められ閉廷となりました。
= 裁判報告集会 =
裁判終了後、弁護士会館で裁判報告集会がもたれました。
最初に吉峯弁護士より、「教育がはたして憲法に依拠して行われているのか。条例や職務命令で、心の問題を強要するような現在の教育の状況は民主主義の危機でもある。その意味で土肥氏の裁判は非常に重要であり、この裁判に関心を持ち、支援することは歴史的にも意味がある。今日もこれだけ大勢の支援者が駆けつけて下さる事に感謝しており、今後とも皆さんの支援をお願いしたい。」との発言がありました。続いて高橋弁護士からは結審が裁判所の都合で延びたことと、判決は年内ぎりぎりか年明けとなる可能性が高いことが報告されました。土肥氏からは「今日で結審すると思っていたので、少し残念だが、8月25日にも意見陳述をさせてくれるので、発言する機会が増えて良かったと前向きに考えていきたい。きっとどっちが勝っても控訴することになり、時間が経てば経つほど、この裁判に関心を持ってくれる人は増えて行き、それだけ都教委は醜態をさらすことになるので私にとって有利になると思っている。」との発言がありました。参加者より「判決の日は記者会見をするのか」、「全国的に署名を集めたらどうか」「外国人記者クラブで記者会見をしたらどうか」等の質問があり、土肥氏は「判決の日には記者会見を必ず行う。」「全国的な署名や外国人記者クラブの記者会見については事務局で検討する。」との回答がありました。
最後に立正大学の浪本教授が「土肥氏の提起した裁判は、日本の教育界に〈言論の自由〉、ひいては教育の自由が保障され、各学校が本来の教育的使命を達成できるようになるか、あるいは強権的な教育行政によってさらに各学校が委縮していくことになるのか、の大きな岐路に立つ裁判である」と発言して下さり報告会を終了した。
次回最終口頭弁論 8月25日(木)午前10時 527法廷
*この日に恐らく結審となりますので判決日が決定します。
*土肥先生が再度意見陳述(新しい内容)をします。
*傍聴席を満員にして裁判官の心証を良くしたいと思いますのでよろしくお願いします。
2011年6月11日土曜日
最終口頭弁論は7月7日
「学校に言論の自由を!」裁判
第12回最終口頭弁論は 、
7月7日 七夕の日です!!
今回で結審、判決日が決定します。是非裁判の傍聴に駆けつけて下さい
********************************************************************************
今回は約2年間の裁判を通して、東京都教育委員会の非常識に対する怒りの思いを、本人(土肥)が陳述します。
日時●7月7日(木)午前10時~
★傍聴席の定員は42名です。開始時間間際ですと入れません。
できれば、30分前位には、お越しください。
場所 ●東京地方裁判所522号法廷
(527から522法廷に変りました。)
★裁判終了後、報告会を行います。
場所 ●弁護士会館 5階 「508ABC」
ぜひこちらにもご参加ください。
連絡先●090-5642-6304(高本)090-2780-7728(平山)
第12回最終口頭弁論は 、
7月7日 七夕の日です!!
今回で結審、判決日が決定します。是非裁判の傍聴に駆けつけて下さい
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今回は約2年間の裁判を通して、東京都教育委員会の非常識に対する怒りの思いを、本人(土肥)が陳述します。
日時●7月7日(木)午前10時~
★傍聴席の定員は42名です。開始時間間際ですと入れません。
できれば、30分前位には、お越しください。
場所 ●東京地方裁判所522号法廷
(527から522法廷に変りました。)
★裁判終了後、報告会を行います。
場所 ●弁護士会館 5階 「508ABC」
ぜひこちらにもご参加ください。
連絡先●090-5642-6304(高本)090-2780-7728(平山)
2011年4月30日土曜日
第11回口頭弁論(4/7) 本人尋問を終わって
「嘘」が「嘘」を証明した。
3月17日、東京地方裁判所527法廷で第9回目の裁判
(口頭弁論)が行われました。
被告(東京都教育委員会)側の証人として加藤学務部課長
(当時)が「米長氏を原告(土肥)が批判したという情報は、
1回目の指導と2回目の指導の間に入手した」と発言した時、
私は「ふざけるな。1回目から米長氏の件で指導を受けたぞ。
そんな嘘をつくな」と心の中で叫びました。
私は現職中に様々な言論弾圧を都教委(東京都教育委員会)
から受け、最終的には非常勤教員不合格という報復措置を受け
ました。現職中に何度も都教委に対して「言論の自由」の問題で
公開討論を申し込みましたが、全て断られたため、裁判という
公の場で公開討論を行いたいと思い、都教委を提訴したのです。
(現職中の私に対する言論弾圧と裁判の内容につきましては、
「それは、密告からはじまった」(七つ森書館)に詳しく書いて
ありますので是非お読み下さい)
裁判の中で最も許せなかったのが、当時教育委員であった
米長氏を私が批判したことを都教委に密告され、指導された
内容が、私の主張と都教委の主張が全く違っていたことでした。
密告により、指導されたのは3回(2006年10月6日、23日、
25日)で、25日には米長氏が三鷹高校に視察に来ることを
告げられたのです。
一方、都教委は、指導したのは2回(10月6日、24日)で、
米長氏が三鷹高校に視察に行くという指導はしていないと
主張したのです。しかも都教委は24日(本来23日)の日付を
書いた指導内容を記録したメモを、都教委側の証拠として提出
していたのです。恐らく米長氏の三鷹高校視察の件は、全く
なかったことにしたかったのだと思います。
私にとって米長氏の三鷹高校視察の件は、私の言論を封じる
ための脅迫そのものであると感じましたし、このことが都教委の
横暴を社会に訴えようと私が決意した原因だったのです。
(理由はわかりませんが、米長氏は結局三鷹高校へは来ませ
んでした)
米長氏を批判したのは理由がありました。皆さんもご存じだと
思いますが、2004年10月、天皇の園遊会に呼ばれた米長氏
は、天皇にお褒めの言葉をもらおうと思い、「日本中の学校で
国旗を掲げ、国歌を斉唱させることが私の仕事です」と話しかけ
たところ、逆に天皇に「やはり、強制になるということではない
ことが望ましい」と諌められました。自分の尊敬する人から
諌められたら、「申し訳ありません。今後は強制しないように
していきます」と答えるのが当たり前です。しかし都教委の
国旗・国歌の指導は、それ以後も天皇の意思に反して、ます
ます強制の度合いを強めていったのです。だからこそ私は
米長氏を批判したのであり、それが密告されたのです。
そして1回目(10月6日)の時から、米長さんを批判したことを
都教委から強く指導(私への言論弾圧)されたのです。そのこと
は私の手帳にも明記されています。だからこそ加藤氏が発言し
た時、嘘をつくなと心の中で叫んだのです。
この加藤氏の嘘は絶対に許せませんでした。この思いが、
ジャーナリストの池添徳明氏を思い出させたのです。
池添氏は、私が三鷹高校に赴任した2005年4月から私を取材
していたのです。もしかすると池添氏に密告の件を話している
かもしれないと思い、すぐに連絡をしました。
すると、池添氏の取材ノートに、私の主張とまったく一致する
記録が残っていました。
「10月23日(2回目)、土肥氏が都教委に指導を受けた帰りに
横浜の喫茶店で待ち合わせ、10月6日と23日の指導の内容
について取材した。1回目も2回目も米長氏の件は指導された。
25日(3回目)には午後8時頃土肥氏から電話があり、米長氏
が近々三鷹高校に視察に来ることを告げられた」。
都教委の主張がすべて捏造されたことが明らかになったのです。
第11回口頭弁論(4月7日)での私への主尋問で、池添氏の
取材ノートに記録されていた事実を述べ、都教委の事実の捏造を
明らかにしました。また、24日の日付の書いてある指導メモは、
都教委が日付を捏造した文書であり、まさに公文書偽造の罪に
問われるのではないかと思いました。加藤氏の「嘘」がなければ
池添氏を思い出すことはなく、まさしく加藤氏の「嘘」が、都教委の
「嘘」を証明してくれたのです。
今回の裁判は、事実に基づいてお互いの主張をぶつけ合い、
どちらが正しいかを判断してもらおうと思っていました。
しかし都教委はその事実さえ捏造したのです。
都教委の行為は絶対に許されるものではないと思うとともに、
これが私の提訴し、裁判の場で正々堂々と論争しようと思って
いた都教委かと思うと情けなくなりました。
土肥 信雄
3月17日、東京地方裁判所527法廷で第9回目の裁判
(口頭弁論)が行われました。
被告(東京都教育委員会)側の証人として加藤学務部課長
(当時)が「米長氏を原告(土肥)が批判したという情報は、
1回目の指導と2回目の指導の間に入手した」と発言した時、
私は「ふざけるな。1回目から米長氏の件で指導を受けたぞ。
そんな嘘をつくな」と心の中で叫びました。
私は現職中に様々な言論弾圧を都教委(東京都教育委員会)
から受け、最終的には非常勤教員不合格という報復措置を受け
ました。現職中に何度も都教委に対して「言論の自由」の問題で
公開討論を申し込みましたが、全て断られたため、裁判という
公の場で公開討論を行いたいと思い、都教委を提訴したのです。
(現職中の私に対する言論弾圧と裁判の内容につきましては、
「それは、密告からはじまった」(七つ森書館)に詳しく書いて
ありますので是非お読み下さい)
裁判の中で最も許せなかったのが、当時教育委員であった
米長氏を私が批判したことを都教委に密告され、指導された
内容が、私の主張と都教委の主張が全く違っていたことでした。
密告により、指導されたのは3回(2006年10月6日、23日、
25日)で、25日には米長氏が三鷹高校に視察に来ることを
告げられたのです。
一方、都教委は、指導したのは2回(10月6日、24日)で、
米長氏が三鷹高校に視察に行くという指導はしていないと
主張したのです。しかも都教委は24日(本来23日)の日付を
書いた指導内容を記録したメモを、都教委側の証拠として提出
していたのです。恐らく米長氏の三鷹高校視察の件は、全く
なかったことにしたかったのだと思います。
私にとって米長氏の三鷹高校視察の件は、私の言論を封じる
ための脅迫そのものであると感じましたし、このことが都教委の
横暴を社会に訴えようと私が決意した原因だったのです。
(理由はわかりませんが、米長氏は結局三鷹高校へは来ませ
んでした)
米長氏を批判したのは理由がありました。皆さんもご存じだと
思いますが、2004年10月、天皇の園遊会に呼ばれた米長氏
は、天皇にお褒めの言葉をもらおうと思い、「日本中の学校で
国旗を掲げ、国歌を斉唱させることが私の仕事です」と話しかけ
たところ、逆に天皇に「やはり、強制になるということではない
ことが望ましい」と諌められました。自分の尊敬する人から
諌められたら、「申し訳ありません。今後は強制しないように
していきます」と答えるのが当たり前です。しかし都教委の
国旗・国歌の指導は、それ以後も天皇の意思に反して、ます
ます強制の度合いを強めていったのです。だからこそ私は
米長氏を批判したのであり、それが密告されたのです。
そして1回目(10月6日)の時から、米長さんを批判したことを
都教委から強く指導(私への言論弾圧)されたのです。そのこと
は私の手帳にも明記されています。だからこそ加藤氏が発言し
た時、嘘をつくなと心の中で叫んだのです。
この加藤氏の嘘は絶対に許せませんでした。この思いが、
ジャーナリストの池添徳明氏を思い出させたのです。
池添氏は、私が三鷹高校に赴任した2005年4月から私を取材
していたのです。もしかすると池添氏に密告の件を話している
かもしれないと思い、すぐに連絡をしました。
すると、池添氏の取材ノートに、私の主張とまったく一致する
記録が残っていました。
「10月23日(2回目)、土肥氏が都教委に指導を受けた帰りに
横浜の喫茶店で待ち合わせ、10月6日と23日の指導の内容
について取材した。1回目も2回目も米長氏の件は指導された。
25日(3回目)には午後8時頃土肥氏から電話があり、米長氏
が近々三鷹高校に視察に来ることを告げられた」。
都教委の主張がすべて捏造されたことが明らかになったのです。
第11回口頭弁論(4月7日)での私への主尋問で、池添氏の
取材ノートに記録されていた事実を述べ、都教委の事実の捏造を
明らかにしました。また、24日の日付の書いてある指導メモは、
都教委が日付を捏造した文書であり、まさに公文書偽造の罪に
問われるのではないかと思いました。加藤氏の「嘘」がなければ
池添氏を思い出すことはなく、まさしく加藤氏の「嘘」が、都教委の
「嘘」を証明してくれたのです。
今回の裁判は、事実に基づいてお互いの主張をぶつけ合い、
どちらが正しいかを判断してもらおうと思っていました。
しかし都教委はその事実さえ捏造したのです。
都教委の行為は絶対に許されるものではないと思うとともに、
これが私の提訴し、裁判の場で正々堂々と論争しようと思って
いた都教委かと思うと情けなくなりました。
土肥 信雄
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