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2011年3月4日金曜日

講演日記(22) ― @北海道 後志・倶知安町

2011年2月17日(木) 北海道 倶知安町
場所: 後志(しりべし)労働福祉センター  
時間: 午後6時30分から午後8時30分まで
 

今回の倶知安町(後志)での講演は私にとって忘れられないものとなりました。
 それは、前日の16日に、小樽で宿泊したことにはじまります。小樽に昼頃に着いて、小樽の街を観光していた時、小林多喜二に関係のある集会の看板を見つけました。実は私にとって小林多喜二はとても印象深い人でした。私が高校の教員になって、政治経済を教えるために使った資料集に、小林多喜二の写真があったのです。その写真は、小林多喜二の遺体を、多くの仲間が取り囲んでいる写真でした。思想犯として特高警察に逮捕され拷問の末、虐殺された遺体です。この写真を見て、「日本で、二度とふたたびこのような言論弾圧が行われてはいけない」と思ったことを鮮明に覚えています。私が今、言論の自由のために闘っている原点の一つなのかもしれません。

 小樽には修学旅行の引率で来たことがあり、市立小樽文学館に多喜二のコーナーがあったことを思い出し、次の日に文学館に行きました。有名な『蟹工船』を書いた多喜二は、小樽高等商業学校(現・小樽商科大)を卒業し、小樽ゆかりの人なのです。そこで驚いたのが、特高に捕まり拷問を受け虐殺されたのが、何と3日後の2月20日だったのです。多喜二の命日に、多喜二をしのぶ集会だったのです。
 
 今回の講演の最初に、小林多喜二のことを話しました。話しているときには、何と表現していいのかわからない、不思議な感情が胸にこみ上げてきたのです。多喜二は死を賭して自分の主張を貫いた。それに比べれば、今の私は死を賭すことはない。だからこそ、言論の自由を守るために、私が闘うのは、私の責任であり義務ではないかという思いが・・・。
 こんなことがあり、私自身がとても高揚した気持ちで講演したように思います。
 
 次の日に新千歳空港まで送ってもらう途中、世界的に有名なニセコスキー場(外国人がとても多かったです)、氷で作ったアイスバー(氷で作った飲み屋)、恵庭岳を背景にした支笏湖、まわり一面の銀世界、とても素敵な後志・倶知安でした。ただ一つ残念なことは、倶知安が誇る、羊蹄山の華麗な姿を見られなかったことです。羊蹄山を見るためにも、もう一度後志・倶知安を訪れることを夢見ています。後志の皆さんありがとうございました。また会えるのを楽しみにしています。

 
参加者の感想

子どもでもおかしいと思うくらいに「おかしい」やり方で行政は、権力を持つ人たちは、自分たちの考を人に押し付けてくるんだと思いました。こうやって言論の自由が侵害されていくんだと。他人事ではなく思いました。土肥さんの一本筋の通った主義主張「言論の自由をまもる」ことは平和を守る、民主主義を守ることに通じている、同じだと思いました。能動的に行動しなければ平和は守れないと、頭では理解していても、行動で示すことはしていない自分を思い起こすことができました。まず、自分の周りから意識していこうと思いました。
身近なところで、上司に対してでなく、同僚間でも言論の自由って認められない場面がある・・・なんてことにも改めて気付かされました。
何よりも、子どもたちのために、(自分がかかわった子供たちだけじゃなく、将来を生きていく子どもたちのために)活動をされている、土肥さんの生の声を、考えを、訴えを聞けたことに感謝します。ありがとうございました。

「土肥元校長の裁判は21世紀のガリレオ裁判か」
1928年3月15日、政府は主に共産党支持者に対し一斉弾圧を行った。小林多喜二の住む北海道小樽でも2ヶ月で約500人もの人が捕らえられ、警察署で拷問を受けた。この一件を小説にした小林多喜二は、1933年2月20日に東京で拷問を受け獄死。小樽出身の私にとって、言論の自由について考えさせられる大きな事件だった。
 この事件から約80年。「日本は平和になった、国民の自由が保障されるようになった」と多くの人が感じている。しかし、土肥先生の裁判の結果次第では、もうのんびりとしてはいられなくなるだろう。
 私のような20代の教員は、新卒のころから職員会議は補助機関化されている。周りからは「管理職がああ言うのだから、我々が主張をしても仕方が無い。」というような声も聞いたことがある。現時点で十分、一般教員は議論する意欲を失っているように思える。というのも、多くの職員が「おかしい」と思えることでも校長一人の判断で決定できるからで、良くないことに、そのような事例が目立つからである。これは校長に最終的な責任が求められるので、やむを得ないところであるが、会議の度にストレスが募ることが多かった。
 しかしながら今回、土肥先生に出会って一筋の希望が持てた。もしも校長が土肥先生のように、現場の教員の声にしっかりと耳を傾けてくれる人だったら、何も問題はない。そして、自分の意見を言える、それを聞いてもらえるという状況が、どんなに仕事をする上で活力をもたらしてくれるだろうかと想像できた。同時に、意見さえ述べられない状況がいかに絶望的かも想像できた。我々にはもう、ダメで元々という思いで意見を述べるしかないのに、それすらできないとは何と異常な事態だろうか。
 私は子どもに授業を評価してもらうし、学期の終わりには「担任の働きぶり」について成績表をつけてもらう。教育の主体は子どもたちであり、子どもたちの自由な意見を無視して教育活動はできないからだ。土肥先生の主張に最も感激したのは、子ども中心主義。きっと言論の自由がない世界を子どもたちに残したくは無い、という思いも強いのではないだろうかと感じた。