第7回口頭弁論 ==
6月28日(月)午前10時半より第7回口頭弁論が東京地裁527号法廷で
行われました。
傍聴42席は満員。教員をめざす大学生や教育学専攻の大学院生など
若い人の姿が目立ちました。
行われました。
傍聴42席は満員。教員をめざす大学生や教育学専攻の大学院生など
若い人の姿が目立ちました。
当日の審理
・原告(土肥側)準備書面4の提出
・浪本勝年立正大学教授の鑑定意見書の提出
・木ノ切弁護士より「準備書面4」についての説明
次回口頭弁論は9月2日(木)午前10時より527号法廷。
(今回と同じ)
(今回と同じ)
報告集会(於弁護士会館5階)==
1.吉峯弁護士の報告と解説
原告側、被告側からの書面の提出は今回をもってほぼ終わり、これから実質的な
主張のやりとりに入る。8月17日までに証人の人証申請を行う。通常、裁判所は
進行協議をもつのが慣例だが、今回は傍聴の関心も高く、また都教委のさまざま
な違法行為を明らかにしていく目的もあるので、公開法廷でやってもらうよう
依頼した。
今回の準備書面は、被告側準備書面(3)についての反論。例えば職員会議の
挙手・採決禁止をめぐる高橋史朗教授の文章についての都教委の主張は、
都教委が意図的に詭弁を弄している証拠である。
浪本教授の鑑定意見書は、教育行政のあり方、教育委員会の役割、職員会議
の役割に関する歴史的な議論を踏まえて、都教委の各行為が、「(行政による
教育の)不当な支配」にあたるもので違法であるとした貴重なものである。
2.木ノ切弁護士の解説
今回の準備書面に対しては都側も「反論しない」ということで、主張のやりとりが
終わりホッとしている。今後は、この事件のことを理解して証人になってくれる
という方が、 集まってきているので、立証の準備をしっかりやって行きたいと思う。
3.土肥元校長の話
>
今回も意見陳述を断られたが、2回もさせてもらえるのは異例なので
しかたがない。
言いたいことは私の本人尋問の際に爆発させたい。122人もの方から122通の
意見陳述を寄せて頂き、本当にうれしい。
また元都立高校の校長と、教員の人が証人に立ってくれることになり有難い。
職員会議は教員にとって最高の研修の場だ。それは教育現場にいる人は誰でも
実感している。
4.浪本勝年立正大学教授の話
これまでに裁判の鑑定意見書を何回も書いているが、今回は準備書面の中でも
きちんと言及されていてうれしく思う。
教育委員会のあり方については与謝野晶子の1919年発表の論文から書き起こした。
戦後は『教育行政の主たる役割は教育条件整備にあり、教育内容へ権力的に
介入すべきでない』との基本原理が確立された。しかし1954年の教育職員
免許法の改正により、教育長、指導主事、校長の免許状制度が廃止され、
教育長の教育専門性が軽視されていることに注目をすべきだ。教育行政機関(=教育委員会)
と教育機関(=学校)とは役割が違い、教育委員会は一定の節度をもって学校に
接するべきなのに、都教委はそれを放棄して禁じられている『不当な支配』を
恒常的に行っている。
これまでに裁判の鑑定意見書を何回も書いているが、今回は準備書面の中でも
きちんと言及されていてうれしく思う。
教育委員会のあり方については与謝野晶子の1919年発表の論文から書き起こした。
戦後は『教育行政の主たる役割は教育条件整備にあり、教育内容へ権力的に
介入すべきでない』との基本原理が確立された。しかし1954年の教育職員
免許法の改正により、教育長、指導主事、校長の免許状制度が廃止され、
教育長の教育専門性が軽視されていることに注目をすべきだ。教育行政機関(=教育委員会)
と教育機関(=学校)とは役割が違い、教育委員会は一定の節度をもって学校に
接するべきなのに、都教委はそれを放棄して禁じられている『不当な支配』を
恒常的に行っている。
>
5.土肥元校長について書かれた新刊書の紹介
吉峯 「大変読みやすくていい本なので、ぜひ知り合いに薦めて多くの方に読んでほしい。」
土肥 「澤宮さんの力作。人間土肥信雄を書くために私の生育環境や生き様、そして教育者
としての教育活動を丁寧に取材して下さった。なぜ私が現職中にリスクを負いながら、
都教委とのたたかいを始めたのか。この本を読んでいただければ、その理由がご理解
いただけると思う。」
質疑応答(抜粋)
Q1:
この事件に限らず「何でこうなってしまったのか」という事態がすすんでいる。普通の人が声を挙げ、一歩を踏み出すとどうなるかという典型として受けとめている。これは都教委に固有の問題なのか、
それとも日本全国の問題なのか?
A1(吉峯):基本的には全国的な問題だ。しかし他県から見ても東京都(都教委)は突出している。
その東京に土肥先生のように勇気をもった人がいて果敢に闘っていることを情報発信していきたい。
この事件に限らず「何でこうなってしまったのか」という事態がすすんでいる。普通の人が声を挙げ、一歩を踏み出すとどうなるかという典型として受けとめている。これは都教委に固有の問題なのか、
それとも日本全国の問題なのか?
A1(吉峯):基本的には全国的な問題だ。しかし他県から見ても東京都(都教委)は突出している。
その東京に土肥先生のように勇気をもった人がいて果敢に闘っていることを情報発信していきたい。
Q2:
都教委は職員会議に代わるものとして分掌会議があると言っているが、それでは現場の
声は間接的にしか反映されない。それについて主張すべきでは?
都教委は職員会議に代わるものとして分掌会議があると言っているが、それでは現場の
声は間接的にしか反映されない。それについて主張すべきでは?
A2(土肥):教員の声を直接聞けるのは職員会議が一番の機会だ。個別に聞いたり、間接的に吸い上げるのは現実には無理で、そのことは当然主張していく。
Q3:
122通の陳述書提出にはどのような意味があるのか?また都側はどのような人が来たのか?
A3(吉峯):裁判は提出された証拠にもとづいて行うので、122通もの陳述書は都教委による土肥先生へのオールCの評価をくつがえす有力な証拠のはず。都側は弁護士が1人と代理人の職員2人が出廷した。
以上のほか、傍聴した学生、院生など9人に感想をもらいました。
●裁判を実際に傍聴したのははじめて。こんなに傍聴者がいる土肥先生は間違っていないと実感した。
●教育は人が行うものだから現場が大事にされるべき。土肥先生が明るい人なので自分もそういう先生に なりたい。
●小学生のころ、職員会議は先生方が真剣に話し合う大切な場だと感じていた。何で必要なものをなくして しまうのか。
●今まで小・中・高には土肥先生のような校長先生はいなかった。ただ威厳があるだけの存在だった。
●今の先生たちに聞くと、「教育委員会の眼があって、意見が言い辛い。」と言う。若い教員が何でも 言える学校にしてほしいので土肥先生を応援している。 (以下略)
以上
●今の先生たちに聞くと、「教育委員会の眼があって、意見が言い辛い。」と言う。若い教員が何でも 言える学校にしてほしいので土肥先生を応援している。 (以下略)
以上
0 件のコメント:
コメントを投稿